『街場の読書論』(内田樹、太田出版)を読みました。
面白かったぁ。
特に、学力について「学ぶ力」と読むというのは目からウロコでした。
学ぶ力を得るには、メンター(師匠)が必要。
メンターとは「今まさに学びの中にいる人」。
そのメンターに「学びの流れに巻き込まされてしまう」ことこそが学ぶ力には不可欠なのだ。
つまり、「今学ぶ者」と「学びに巻き込まれる者」の関係の中にこそ、知の獲得の手法が伝達されるということですね。
大学の存在意義はまさにここに行き着くのでしょう。
また、『痩我慢の説』(福沢諭吉)についての説明も面白かった。
これはまた別の記事で書きたいと思います。
ーーー
全体を通じて、とても「大人な」本という感じを持ちました。
常識的にものを考えたいという思いが伝わってくるようです。
「常識的に考える」ということは、つまり身体的な快・不快を考慮するということのようにお見受けいたします。
要するに、「違和感があるかないか」と言い換えてもいいかもしれません。
世の中、数値化できることばかりではない、ということも常識の一つでしょう。
そういう常識が忘れられた社会は、多分穴だらけの社会になる。
だから、「常識的な人」になることはとても重要な事なんだけど、みんなが常識的になれるかというと、そうではない。
常識という言葉と裏腹に、常識的な思考・行動を取るのには、素質が必要で、全体の20%くらい常識的な考えができる人がいれば社会や組織は機能するのだとか。
「はて、私は常識的に考えることのできる大人だろうか?」と問うてみると、少々危なっかしい。
となるとできることは、常識的に考えることのできる人の「邪魔をしない」ということだろうと思う。
あんまり読書に関係のない感想ばかりですが、本書に通底するメッセージはずばり「常識を持て」「そのために君が、本を待っている」ということになると思います。
あるいは、この考えは前に読んだ『街場の教育論』の影響を多分に受けた上で感じることなのかもしれません。
常識を持つということは、難しく言えば、共同体の一部であることを理解し、共同体に貢献する使命を自覚せよ、ということになるかと思います。
そして、このことは要するに「成熟する」「大人になる」ということと同義なのだろうと思わされました。
師を持ち、学びの流れに巻き込まれ、常識を得て、成熟せよ。
このステップを踏むとき、師とは本でも良い、というか私はそうしてきたよ。
そういうメッセージを私は受け取った…ような気がします。
※タイトルの太田出版は単行本出版時の出版社
登録:
コメントの投稿 (Atom)
辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)
今日は4月1日。 我社では辞令交付式が行われました。 そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。 明日も仕事なので、12連勤となります。 人事課の闇ですね。 それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。 それは、お礼を言われる側が、何故かホ...
-
『春画の楽しみ方完全ガイド』(白倉敬彦監修、池田書房)を読了。 同じシリーズの「西洋絵画」「日本絵画」に続き、3作目。 ■ 【読了?】西洋絵画の楽しみ方完全ガイド ※日本絵画はまだ記事にしてなかった… 本作は前のシリーズよりも登場する絵師が少ないため、一人の絵師の複数...
-
『 旧約聖書物語 』(犬養道子、新潮社) を読みました。 いやー面白かった。 旧約聖書ってこういう話だったのね、という感じ。 これは教養の書です。読んでよかった。 これを読んでおけば、欧米の人の名前の由来などもわかるし、キリスト教のベースもわかる。イスラム教のベースも...
-
以前読んだ『 困難な成熟 』(内田樹、夜間飛行)で紹介されていた一冊である『 兆民先生 』(幸徳秋水、岩波文庫)を読みました。 すごく丁寧な書簡を書く人だなぁというのが私の持った兆民先生の印象です。 通読すると、いかに秋水が師を敬っていたのかよく分かるし、兆民は兆民で一人の人...
0 件のコメント:
コメントを投稿