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テレビってちょっとやばくない?

GWなので、実家に帰ってきております。
帰省をしてギャップを感じることは、それはそれはたくさんあるわけですが、その中でも「テレビがついてる」というのは大きなギャップの一つです。

我が家では主に録画した番組しか観ないので、思いがけず面白い番組出会うということはありませんが、実家でテレビをなんとなく観ていても、別段面白い番組はやっていないように思います。
それよりも、「こんなんでいいのか?」というような内容の放送が多い気がします。

というのも、たまたま放送されていた池上彰さんの番組で、最近ニュースに関係する問題を20字で説明してくださいという企画があったのです。
この企画、結構やばい。
やばいというのは、「考える力を奪う」可能性が高いという意味です。

例えば「なぜ消費税を上げる必要があるのか?」という問いが出て、模範解答として「高齢化社会に伴い社会保障費が不足するから」というようなものが挙げられていました。
このどこがおかしいかといえば、「そもそも消費税を上げる必要があるのか?」という問いがすっぽ抜けているという点や、「消費税を上げる以外の方法はないのか?」という問いがないわけです。

尺やスポンサーの意向などもあるのかもしれませんが、ともすれば「へぇ」と思いかねない展開とキャスティングで、しかも論理的な説明も大してされないから、疑問を挟む余地があまりない。
いわゆる識者と思われている方が一方的で一義的な解説をします。

多分この番組を観た人が、私みたいな奴から「なんで消費税上げなきゃいけない前提なの?社会保障費が足りないのに社会保障の制度を変えないつもりなの?消費税上げて困るのは貧乏人だよね?それになんでデフレなのに消費税を上げるわけ?」みたいなことを問われると多分「あーあまたなんか言ってるぜあいつ。ちょっとやべーから無視しよう」みたいな対応を取ることでしょう。
上の消費税の話のように「これはこうですよ」とだけ説明されてしまうと、自分でこれがこうなんだなと論理が追えないから、それが常識として捉えてしまうおそれがあるのです。
そうなると、別の意見を聞こうとしないし、聞いても聞く耳を持たない。
それが非常に危ういと感じます。

テレビ番組がこんな番組ばかりなのかどうかは知りませんが、もしそうなのだとすれば若者のテレビ離れなんて大いに歓迎すべき事態だと言わざるを得ません。
制作サイドもわかりやすさを重視しているのでしょうけど、ここまで行くとテレビはバカ製造機だと思えてしまいます。

ちなみに、「これはこうですよ」という説明に疑問を持ち、それを問い詰めていくのが「大学の学び」です。
こうしたテレビが放送されているということは、まだまだ、大学の学びが世の中に浸透していないように感じます。

【読了】「官僚とマスコミ」は嘘ばかり(髙橋洋一著、PHP新書)

『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』(髙橋洋一著、PHP新書)を読みました。

この作品は、先日『AI時代の新・ベーシックインカム論』(井上智洋著、光文社新書)を読んで、財務省がHPで堂々と国民をミスリードしようとしていることに衝撃を受けて手に取りました。
国家レベルの虚言(AI時代の新・ベーシックインカム論から①)

本作で種明かしされるのは、官僚がいかにしてマスコミをコントロールしているのかです。
それに付随して、コントロールされてしまうマスコミとはどんな人たちなのか、ということも書かれていました。
なんとなく、記者というと、ジャーナリズムという高い志を持った、知力・体力・気力に活気あふれる人種というイメージがありますが、本書で語られる記者は知識がなく、数字が読めず、官僚の言いなりという姿が描かれています。
また、新聞やテレビというメディアは、法律に守られている存在であることも明らかにされます。
どんなふうに守られているかは、著者のWeb記事をご覧になってください。
こんなんでよく世の中のことが批判できるなというふうに思ってしまいます。
新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」(講談社現代ビジネス)

その他にも、例えば「フィリップス曲線」という金融政策を実施する上でインフレ目標を決める道具も紹介されていました。
インフレの状況は、常に失業率と関連して説明されるのが海外では当たり前で、インフレが進んでも、フィリップス曲線に当てはめてみて、失業率がまだ下限に達していないのであれば、金融政策を緩めてインフレに進めればいい、ということが自動的に決められるという便利な道具です。
ちなみにこの失業率の下限の始まりの場所(最小のインフレ値)をNAIRUという言うそうです。
(豆知識です)

つまり、新聞等でよく聞く、インフレ目標2.0%と言うのは、日本におけるNAIRUを目指しているわけですね。
なんで2.0%と思っていましたが、根拠があったのです。

また、著者も井上氏と同様、「財政再建には反対」の立場を取っておられます。
結局バランスシートで考えたときに、日本の財政は諸外国と比べても、そんなに悪いわけではなく、アメリカと比較しても健全で、むしろもっと積極財政を行わないとダメだとの主張です。
なお、外務省も、外国で国債を売るときには、バランスシートを使っているようです。
いかに健全なのかを伝えないと、買ってもらえるわけありませんもんね。

こうして考えると、果たして新聞とは?テレビとは?と思ってしまいます。
一次情報にアクセスしやすくなった今の社会で、報道機関とはどういう役割が求められているのかを改めて問われる必要がるように思います。
ぜひともメディアに市場経済の原理を働かせていただき、第四の権力として、既存の権力に鋭いメスを入れていただきたいと思います。
そのためにも、広く浅い記事ではなく、「経済なら〇〇新聞」「教育なら〇〇新聞」「政治なら〇〇新聞」というように、個性を強めていってほしいと思います。
そうすることが、官僚との間に緊張感を生むことにもつながるでしょう。
私は新聞を購読していませんが、そんなふうになったら私も何か購読するかもしれないなぁと思います。

いろいろな見方をする必要がありますが、自民党も、官僚も、いいところとだめなところがあるということを感じます。
極端はあまりないようです。
マスコミが盛大に何かを報道するとき、だいたいは裏にマスコミの思惑がありそうです(例:モリカケ等)。
また、本書を読むと、安倍政権は経済政策においてまともだという印象を持ちます。
実際はどうなのか、私には結論が出せませんが、少なくとも雇用は回復しているし、経済政策も誤ってはいない感じ。
賃金上昇という目に見える効果が出るのは、どうもこれからのようです。

それから、官僚も有能な人が働いてくれているのだろうな、と少し安心しました。
なんとなくドラマなどの影響なのか、官僚と政治家は悪いやつばかりというイメージがありましたし、また、本書の中でもしょうもないのもいるような描写もありました。
しかし、それもやっぱり極端な話で、殆どの人は誠実に働いているんだろうなぁと思わされます。
じゃなきゃ、とっくにもっと大変なことになっているように思われます。
(とはいえ、消えた年金問題なんかのように、大変なことになっちゃった例もありますが…)

最後に、昨今の研究への助成に対する「選択と集中」についても、非常に珍しい理系出身の財務官僚として、疑問を投げかけています。
結局研究とは博打で、ハズレは多いが、当たればすごいことになる。
どのくらいすごいかというと、ハズレを全部取り戻してあまりあるくらいにすごいことになる。
ところがどっこい、(選択と集中をすると言っても)当たるかどうかは、やってみないとかわからない。
だから、投資と考えるべきだ、という論ですね。

これは、教育に関連する仕事をしている人間としては、非常にありがたい気持ちと、そのとおりですよね、という共感の気持ちがわきます。

研究とは、長期にわたるものです。
そして、成果が出てくる可能性は未知数です。
でも、それをやらなければ、革新的な技術発展はありえない。
であるならば、未来のために投資をしようという発想は、至って当然の発想であるように思います。
「明日の便利より、今日の飯」という状況の方ももちろんいるでしょう。
しかし、国の方針として、やはり未来の世代のことにも思いを馳せて予算を分配してほしいと思います。
そして、それは理系の技術的なものだけではなく、文系の文化的なものについても同様に発展と保存を目指して、支援をするべきではないでしょうかーー。

と、そんなことを思ったのでした。

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...