生き方を考えざるを得ない|脱資本主義宣言(鶴見済、新潮社)を読んで

 
脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし』(鶴見済、新潮社)を読みました。
面白かったです。
本書は世界の経済的なつながりのゆがみを見ていき、私たちが普通に生活することがどのように世界に影響を与えているかを教えてくれます。
著者の言うように、ただ単に個人が生活スタイルを変えればいいというものではなく、企業に圧力をかける、規制を強めるなどの施策もとる必要性がよく理解できます。
とはいえ、個人で何かするための道も照らしてくれる本です。

生きてるだけで誰かを搾取しているという衝撃

世界を北と南、上と下に分けてみると世の中はこんな風に繋がっているのかとゲンナリしてしまいます。

私たちが普通に暮らしているこの暮らし自体が南の世界を搾取せずには成り立たない暮らしなのです。

もちろん、輸入がゼロになれば多大な不便が出るだろうなぁとは思いつつも、こんな形で貿易をしているとはつよほども知りませんでした。

パンを食べ、コーヒーやビールを飲み、安い服を着てマックに行く自分は間違いなく南の人から搾取する側です(とはいえ北の上からは搾取されてるかも知れないけど)。

国際社会というものを南の国々も含めたものであるならば、国際社会の一員として学校で学ぶべきことってのは語学やプログラミング技術などではなく、こういう現実を知ることなんじゃないかと思えます。

(しかし、一方でこの一冊で全てを決め付けない態度も大事かも知れませんが)

何のため、誰のために経済を回すのか

本書を読むと、経済を回す必要がある社会を作ったのは、どうも経済が回ることで儲かる人たちのようです。

この視点に立つと、今回のコロナ禍で経済を回す必要性が叫ばれていたのが少し空々しく感じられます。

お偉い方たちの言う経済を回せってのは、つまり金を吐き出して召し上げさせろってことなのではないでしょうか。

あるいは「俺らの金を再配分なんてしねーかんな?」ってところでしょうか。


コーヒーを飲まなくても、農家は困らないのかもしれない

こうやって経済を回すことに否定的なことを言うと、「お前はいいけど、それで職を失う人だっているんだぞ」と批判されそうです。

でも、職を失っても生けていけるようにするのが政府の仕事でしょ?

それに、世界中の人がコーヒーを飲まなくなっても、コーヒー農家は多分別の作物を栽培するようになるのではないかな。

あんなに苦くて加工に手間のかかる作物よりも、おいしくて栄養の多い作物を作ったほうがその地域にもいいような気がします。

しかも、その方がグローバル企業から買い叩かれることもなくて幸せかも知れない。

そしてこれはコーヒーだけに限った話ではないはずです。

(あるいは他の仕事をするよりも今の仕事を続けた方が楽な理由があるのかも知れないけれど)


なにはともあれ、職を失うことを恐れさせるってのは、搾取する側の基本戦略なわけです。

札束でほっぺたを叩けば人を好きに動かせれるってのは、楽ちんに違いありません。

その札束だって、その叩いている人から吐き出される金なんですから。


ではどう生きるのか

さて、じゃあ搾取されつつも、どちらかと言えば搾取する側についている自分には何ができるのか。

例えばこんなこととか。

  •  コーヒー、缶ビールを飲まない(結構難しそう…)
  •  チェーン店は避ける(マックで時間つぶせるのはありがたいのだが…)
  •  高くても国産品を買う(服はめっちゃ高くなりそう)
  •  応援したいものを買う(これはできそう)
  •  ご飯中心の生活にする(これもできそう)

とまぁ、こんなところでしょうか?

あとは、流行には乗らない、とかかな(これはいける気がする)。

参考までに流行を作り出す企業代表であると思われる電通の「戦略十戒」をご紹介します(P43)。

  1. もっと使用させろ
  2. 捨てさせ忘れさせろ
  3. 無駄づかいさせろ
  4. 季節を忘れさせろ
  5. 贈り物をさせろ
  6. コンビナート(組み合わせ)で使わせろ
  7. きっかけを投じろ
  8. 流行遅れにさせろ
  9. 気安く買わせろ
  10. 混乱を作り出せ

これらに抵抗すれば、大量消費・大量廃棄への抵抗につながるかも知れません。


とはいえ、個人は弱いから

でも、いろんな南の惨状を知った上でも、やっぱりコーヒーを飲みたい気持ちは消えない(し、結構飲まざるを得ない状況は多い上に、つい飲んでしまう)。

だからそんなに悪いものなら、そもそも輸入されなければいいのになと思う。

目の前に快があれば、手を伸ばしたくなるのが人情というもの。

自由だけでは、世の中は良くなりそうにありません。

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