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「赤星孝と赤星信子展」と「第29回福岡県中学校美術展」@福岡県立美術館

福岡県立美術館に行ってきました。
https://fukuoka-kenbi.jp/
(〒810-0001 福岡市中央区天神5丁目2-1 TEL 092-715-3551)

今は、「赤星孝と赤星信子展」が開催されておりました。
夫婦で絵描きという赤星夫妻は、生前共催で展覧会を開くことがなかったのを、同館が企画し夫婦のコラボレーションを図った展覧会です。
いいなぁと思ったのは、

・「自画像」赤星孝
全体的に影が多く、すごく渋い感じが良いです。怪しい雰囲気。だけど力強い。葉巻とバーボンが似合いそう。ダンディー。

・「シシ」赤星孝
画面いっぱいに2頭の獅子。四角で作られたその獅子は、無機質なのに、コミカルな感じ。止まっているような、でも動いているような、不思議な感覚です。直線と直角が多いので、口などに使われている曲線が目立つ。そのチグハグさが独特な愛らしさを醸し出しているのかもしれない。

の2つです。

両氏とも、抽象画が多く展示されていて、一体何を表したいのか、観る者に委ねているような作品が多い印象でした。
だから、よくわからない。
でも、それもいいものです。
その「よくわからない作品」は、作者にとっては完成品としての作品なのだから、私たちはその作品を見て「何を表したかったのか」を問えばいい。
答えはもちろんないのですが、「ひょっとして?」なんて考えるのも面白いし、「やっぱようわからん」でも別に何も減りません。
特に赤星信子氏の作品は、キャンバス一面を赤く塗って、その赤の塗りの厚さで「何か」を表現していたように見受けられました。
一体何を?
結局それはわかりませんが、このもやもやがなんとなく楽しい。
まぁこういう楽しみ方が楽しいから私は美術館に行くかもしれません。

ちなみに、こういう楽しみ方は本でもできます。
例えば、佐藤亜紀さんの著作を読んでみてください。
多分少しだけ私の言いたいことがわかっていただけると思います。

ーーー

同館では同時開催で「第29回福岡県中学校美術展」も行われていました。
もちろんこれも見ていくつもりでした。
ただ正直こちらはあまり期待せずに同館に来たのですが、その期待はいい方向に裏切られました。
めちゃめちゃおもしろい。中学生レベル高い!
特に目を引いたのはガラスアートやスクラッチアート。動物の毛やサメの肌をものすごく繊細に再現していて、惚れ惚れしました。
こういう作品があった事自体、初めて知り、大変勉強になりました。

また、有名な絵画(例えばゴッホの「ひまわり」など)の贋作というか、模写のようなものも多数あったのですが、「なるほどそういう解釈もあるのか!」というような色使いやデフォルメ、加工などがされており、これまた刺激的でした。
別の歌手が歌った好きなアーティストのカヴァー曲がなかなかいい!でもそれ聴くと原作も聴き返したくなっちゃう!みたいな感じでしょうか。原作の違う側面が強調されるような、そんな不思議な感覚を覚えました。
(宮崎あおいの歌うソラニンみたいな感じです。)
他にも、細かいのですが、立体構図を描いた作品に付した作者自身のコメントなんかも非常に味があり、中学生ってこんなこと考えてるんだなと、年寄りみたいにしみじみ感じ入ってしまいます。
いいよ、すごくいい。すごく楽しい。

全体として、技術が高いわけではありません。
そして、展示されている作品すべてが素晴らしいと感じたわけでもありません。
殆どの作品は、別に誰かに何かを感じさせることもなく、この展示を終えるのでしょう。
しかし、これらの作品を作っている時間というのは、本人にとって、非常に豊かな時間になっているんじゃないかな、とそんなことを思わされました。
「なんのため」「何に役立つ」そういうことを無視した純粋な表現の楽しみのようなものを感じます。
展示の質、量、共に、無料で見ちゃ申し訳ないレベルといっていいと思いました。
なかなかどうして、中学生も侮れません。

ーー

佐藤亜紀さんはどの小説を読んでも「意味わからんのに面白い」「全然話についていけないのに読み進めるのをやめられない」という体験をさせてくれる、私にとって最高の作家さんです。
その中でも『天使』は割りとわかりやすい方な気がしますので、皮切りにぜひ。

【読了】春画の楽しみ方完全ガイド(白倉敬彦監修、池田書房)

『春画の楽しみ方完全ガイド』(白倉敬彦監修、池田書房)を読了。

同じシリーズの「西洋絵画」「日本絵画」に続き、3作目。
【読了?】西洋絵画の楽しみ方完全ガイド
※日本絵画はまだ記事にしてなかった…

本作は前のシリーズよりも登場する絵師が少ないため、一人の絵師の複数の作品を紹介する形でした。
ただ、本作の楽しみ方の紹介に伴って、絵師の系譜が追えるという構成は変わりません。
これから春画を楽しもうと思う人には大変良い本です。

もちろんこの本で主要な春画のすべてを網羅しているわけではありません。
ただ、春画鑑賞の第一歩には大変有意義な本だと思います。

「うまい・へた」がそのまま「いい・わるい」にならないという点が、春画もやはり美術品だなぁと思わせてくれます。
私の場合には、「いい表情」の作品に魅了されるのだということもわかりました。
ですから前半で紹介される墨摺りの作品の中でも、非常に清々しい表情の作品などは見ていて「いいねぇ」と思わずつぶやいてしまいます。
しかし、逆に表情の無い春信の作品も何考えてんだかわからん作品も好きなのが自分でも不思議です。

それにしても、彫る人は本当に凄いです。
毛の一本一本を浮かび上がらせるように周りを掘っていくわけですよね。
ドットとかだと涙出てきそうです。
当時の彫技術は世界一だったと別の本で読みましたが、だとすると当時の日本人(しかも庶民)の美術への関心というのは、現代人よりもよっぽど深くて広かったのかもしれません。

表情があっていいなぁと思った作品は特に以下の作品です。
※画像はいずれも同書からの引用

菱川師宣 欠題組物Ⅰ 第九図(P66)
吉田半兵衛 うるほひ草(P86)
鳥居清長 袖の巻 四(P126)
鳥居清長 袖の巻 六(P126)
逆に、顔を隠しているのもいい…(矛盾してますね)

喜多川歌麿 歌満くら 十(P130)
喜多川歌麿 歌満くら 七(P15)
歌川国芳 花以嘉多 中、第二図(P180)
歌川国芳 華吉子見 地、第二図(P182)
顔が見えないのに、なんとなく心情がわかってしまいそうなのが面白い。
書き入れの解説のおかげということもあるのでしょうけれど、力の入り方とか、仕草とか、全体から伝わってくるものがあるのだと思います。

前にシャネル銀座店の春画展に行きましたが、また行きたくなってしまいました。
  

【読了】屏風と日本人(榊原悟著、敬文社)

『日本人と屏風』(榊原悟著、敬文社)を読みました。


ページ600近い大書です。
しかもずーっと屏風について。
こんなに情熱的に屏風を解説する本が世の中にあるとは、驚きです。
(あとがきでは、原稿用紙に鉛筆書きとも書かれていてさらに驚きました)

そもそも「なぜこの本を手に取ったか」というと、美術展でみる作品になんとなく違和感を感じていたからです。
というのも、美術館に行くときには、だいたい予習として目玉作品の解説に目を通してから行きます。
そうすると、現物を見たときに、なんとなく馴染めない感じを持ってしまうのです。
色や質感については、どうしたって現物を見ないとわかりませんから、たしかに「見てやったぞ」という充実感があるのですが、なぜかモヤモヤっとしたものが心に残るまま美術展をあとにすることが多々ありました。
なぜか?と考えてみて、ひょっとしたら「屏風にかかれているから」ではないか?という仮説に至ったのです。

書籍等で紹介される屏風の多くは、しっかりと広げられ、1面の絵画のように紹介されています。
しかし、現物はあくまでも屏風であり、曲げて立たせる調度なのです。
つまり、折れ曲がった絵を見ることになります。
ここに大きなギャップが生じ、もやもやを生むことになっているのではないか?ということですね。

私の感覚としては、「1面の絵」としてみたほうが美しく感じています。
でも、長い歴史の中で様々な絵が”屏風”というキャンパスに描かれてきた以上、そこには私の知らない美しさがあるのに気づいていないのではないか?そんな風に思ったのです。

そして、普通に見ているこの屏風ですが、「そもそも屏風って何なの?」「なんでみんな屏風に描いたの?」「何のために屏風が作られていたの?」という疑問も湧いてきました。

---

本書は、上記の疑問について、多くを答えてくれています。

  • 屏風とは、中国において風を避けるための衝立として生まれたらしいこと。
  • 中国から朝鮮を経由して日本に伝来したらしいこと。
  • そのうち日本製のものを逆に海外に送り出していたこと。
  • 屏風が祭祀において空間を仕切ったり、背後を飾ることに用いられたこと。

などなど。

海外から来たものに、日本のオリジナリティを付与して輸出するようになるというのは、現代にも通じるものがあって面白いですね。
また、日本の屏風の特徴として、金・銀に極彩色の絵を描いた派手さが挙げられていましたが、日本人は昔から派手派手しいのが好きなのですね。
この辺は奇想の系譜や奇想の図譜を読んでいただけるとよく分かるように思います。
(あと、黄金の国ジパングなんて呼ばれたのも、金屏風が出回ったからでは?なんて想像してしまいますが、Wikipediaには平泉の中尊寺金色堂がモデルとありました。当時、奥州では砂金がたくさん取れたというのは知りませんでした)
【読了】奇想の図譜(辻惟雄著、ちくま学芸文庫)
【読了】奇想の系譜

さて、私が知りたかった「”屏風絵”として屏風の絵を楽しむ方法」についてですが、本書はこれについて、別書『日本絵画の見方』(榊原悟著)を当たって欲しいとの記載がありました。
ただ、その一端として、「富士・三保松原図屏風」(狩野山雪筆、静岡県立美術館蔵)を例に「折り曲げることで、富士山の傾斜がきつくなる」など、絵から受ける印象を変化させることができることを紹介しています。(P11)

おそらく、画家たちは屏風に描くことが決まっている以上、”屏風絵”としてどう見られるかを計算して描いたはずです。
果たしてその視線で見るならば、これまで見た屏風はどう見れるのか、改めてみたいという思いに駆られています。
ぜひ、もう一回「燕子花図屏風」(尾形光琳、根津美術館蔵)を見に行きたい、その気持ちが高まっております。
【鑑賞】尾形光琳と燕子花図@根津美術館

 

子どもたちに美術鑑賞の楽しみを

理系以外に大学で勉強する必要がどこあるのか?というのは、私が大学へ進学するにあたって考えていたことです。
大学を卒業して10年近く経ちますが、まぁなんと見識の狭いことかと恥ずかしくなります。
いろいろな本を読んでみれば、理系でなくても大学に行く意義は非常に大きいことに気づきます。
特に、美術の世界を覗いてみると、大学教授の先生方や美術史家の先生の功績は非常に大きいと思います。

どう貢献しているかといえば、作品の凄さに何らかの影響を与えている、という意味ではなく、庶民が美術を楽しむのに非常に役立つ知見を数多く提供している点が挙げられます。

素晴らしい作品は、たいてい何か別の素晴らしい作品(作風)に立脚しているものです。
あるいは、そういう流れからではなく、彗星の如く飛来した天才もいるでしょう。
いずれにしても、歴史という基準を知らずしては、美術の面白さは半分近かく失われるはずです。
どんな作品を師としたのか、そしてそれをどう越えたか、どんな時代背景で書かれたか、何を意図しているのか、こういった問について、専門の教授や美術史家たちが時間をかけて推察した仮説や結論は、様々な要素と絡み合って私たちに迫ってきます。
大いなる伏線回収を美術史家の皆さんはされているのだと言えましょう。
このことに気づいたとき、私は美術鑑賞の楽しさに目覚めました。

私個人は、そもそも絵心というものが欠落しており、小中高と美術の授業がからっきしだめでした。
大概、技術を持ち合わせない実技の授業は辛いものです。
音痴の音楽、足の遅い体育、不器用な家庭科、いずれも苦痛でしょう。
私にとっては、美術はそれらと同列のものでした。
すなわち、絵心なき美術ですね。

しかし、自分の能のなさを棚において振り返るならば、どうして美術が実技に重きをおいていたのか、それが気になります。
(この思いの半分は、絵心ない者の僻みです)
もっと鑑賞に力を入れても良かったのではないか。
実技としての美術は、興味のある子が放課後に習えばいいのではないか。
そんなことを思います。

芸術は、その存在にすでに価値があります。
芸術との向き合い方は、自由だと思いますが、ある作品と向き合って自分が下した価値と世間が下している価値のギャップを見つめるという授業も、なかなかおもしろいのではないでしょうか?
こうした「自分はどう面白いと思ったのか」を掘り下げる練習をしておくと、芸術鑑賞のハードルを下げることにつながると思います。
また、鑑賞に上手い下手はなく、自分が面白いと思えるかどうかが重要である、という気づきは、日常生活においても自身を助ける気づきだと思われます。
面白いと思えない理由も含めて考えることができるとしたら、多分もう大学入学資格は与えてもいいのではないかとさえ思えます。

「美術鑑賞なんて教えて何の意味があるのか?」と問われれば、「様々なきっかけを与えることができるのではないか?」と答えたいです。
芸術に興味を持てば、歴史に興味を持つようになります。
また、言語や文化にも関心を持つことでしょう。
題材に目が向くならば、自然科学に興味を持つ子も出てくるかもしれません。
これが役に立つかどうかはまた別のお話ですが、少なくとも少しだけ人生に幅ができるはずです。

初等教育においてはひとまず絵を描くという身体的な授業があることは構いません。
友だちと楽しく、のびのび書けばいいのです。
しかし、中等教育以降においては、ぜひとも鑑賞にも、もう少しウェイトを置いていただければ、子どもたちの将来が、より豊かになるのではないかと、そんな期待をしています。
(とはいえ、私が中高生だったのは、もう20年近く前なので、今はもう授業も変わっているかもしれません)

【鑑賞】尾形光琳と燕子花図@根津美術館

【聴講】燕子花図と洛中洛外図(奥平俊六さん)@根津美術館
の続きです。


さて、講演後には、改めて展示を拝見いたします。
お目当ての『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』(国宝、根津美術館蔵)ですが、六曲一双の屏風を生で見ると、やはり違います。

金のグラデーションにのっぺりとした質感の燕子花が並んでいるだけなのですが、よく見ると青の色も花弁ごとに違うんですね。
(帰って本で確認すると、たしかに違ってましたが、気づきませんでした)
また、他の作者の燕子花を題材にした作品と比べると、燕子花の花弁が随分ぽっちゃりと強調されていることもわかりました。
とてもアンバランスな感じなのに、調和が取れているようにも見えるのが不思議な感じ。

こういう地が金の作品は、印刷や画像と現物では受ける印象がだいぶ違いますが、本作も同じ印象でした。
また、サイズが思っていたよりも大きく、現物を見ていると屏風の中に没入している感じがしてきます。
(奥平先生いわく、本作は伊勢物語の在原業平が「かきつばた」の歌を読んだ時に見ている燕子花をイメージしているとのこと。見る人を、在原業平にさせようとしているのではないか、というような話をされていました)

本展示の、もう一つの目玉である『洛中洛外図(根津本)』も見てきましたが、これは大変おもしろいですね。
前の記事でも書きましたが、これを見ながら京都巡りを是非したいと思いました。
なぜデジタルデータを公開してくれないのでしょうか。
デフォルメしたものをショップで販売してほしい!
他にもお伊勢めぐりの絵もありましたが、こちらも販売してくれ!

他の作品としては、光琳のお父さんの作品なんかもあります。
光琳はお父さんも芸に通じていたのですね。
弟も焼き物をやっているし、芸術一家だったようです。
また、光琳の周辺の人の作品も多く展示されていました。
全体としての展示は多くないことから、光琳自体の作品は割合としては少なめな印象です。

常設展では、茶器や箱も展示されており、日本人の生活品への芸術意識がどんなものであったか垣間見ることができます。
よく日本人が独創性のないコピー民族だという考えは、多分戦後の高度成長期以降のことなのではないでしょうか。
こんなに芸術が庶民にまで広まっている国はないのではないでしょうか、と思えてしまいます。
(浮世絵なんかがいい例ですよね)

根津美術館は、建築物としても、非常に洗練されていました。
根津美術館は、閉館が17:00のため、講演を聞いたあとではあまり鑑賞する時間が長くありません。
従いまして、できれば午前中に展示を鑑賞し、カフェで昼を食べ、庭を散策した後に講演を聞くという流れが良さそうです。
次はそのようなスケジュールでお邪魔したいと思います。
(家で相談したら連れに怒られそうですが…)

【聴講】燕子花図と洛中洛外図(奥平俊六さん)@根津美術館

東京の南青山にある「根津美術館」で開催されている「尾形光琳の燕子花図」に行きました。
根津美術館
初めて根津美術館にお邪魔しましたが、庭が広いんですね。
庭の池にはたくさんの燕子花が育っており、4月下旬から5月上旬にかけて見頃になるのだとか。
そのタイミングで来ればよかった。
場所柄か、外国人の観光客も多かったです。
おいでになる方は、庭の散策も含めて、時間に余裕を持っていかれることをおすすめします。

一面の燕子花。咲いてるときに来たかった…。
さて、お目当ては『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』(国宝、根津美術館蔵)ですが、その前に、イベントに参加しました。
イベントとは、大阪大学名誉教授の奥平俊六先生による「燕子花図と洛中洛外図」という講演のことです。
無料ということもあって、初めてこうした美術関連の講演会に参加しましたが、定員130名の会場は満席で、大変な賑わいでした。
皆さんメモを取りながら熱心にメモを取られています。
奥平先生が燕子花図のモチーフのところで、「から衣 きつつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う」をうっかり失念してしまったときなど、聴衆から返答があって驚きました。
皆さん大変造詣が深いようでいらっしゃいます。

奥平先生の話は、大きく(1)「燕子花図」、(2)「洛中洛外図」についての講演とレジュメにはありましたが、ほとんど燕子花図パートについての話で、しかも燕子花図はあくまでも導入で、「藤袴図屏風」についての話に多くの時間が割かれていました。
そもそも、この時代の美術作品においては、能=謡曲の概念が非常に重要で、様々なモチーフが謡曲に存在し、そこから絵画に表現されたと言うことを伺いました。
藤袴図屏風についても、モチーフは謡曲にあり、かつ当時起きた紫衣事件を通じて表現したかったのではないか、というような話をされていました。

この話のポイントとしては、画家にこうした謡曲の知識やそのモチーフを風刺だったり、時代のイベントにつなげるということを、画家が単独でやったわけではないということ。
例えば、上の藤袴図屏風で言えば、宗達に書かせたのは誰か?ということです。
紫衣事件に近しく、かつ、叢蘭秋風という言葉をよく理解する者だということではないか、つまり、非常に尊い人なのではないか、と奥平先生は推測します。
(ちなみに、実は叢蘭が藤袴を指すというのがポイントです)
こういう話を聞くと、今後「誰が発注したのか?」ということも気にかけることができるようになりますね。

と、こんな話が90分も続きます。
へぇ、なるほどなぁ〜という感じ。
こんな風に90分もまるまる楽しそうに美術の話ができるってのは、すごいことだなぁと思いますし、そのベースには何十年とかけて作品と歴史と文献をつなげていく仕事があるのでしょう。
素晴らしいことだと思います。
ところどころ笑いどころもあり、あっという間の90分でした。

短かった「洛中洛外図」においては、「景観指標」というものも知ることができました。
景観指標とは、それがあることで、いつごろのことを描いたのかわかるという目印のことで、例えば京都で言えば二条城の天守が移動しているかどうかで寛永3年の前後どちらなのかがわかるそうです。
そういう豆知識を聞くと、ちょっとおもしろいですよね。
ぜひとも、洛中洛外図を片手に京都中を歩き回りたいと思いました。


本と違って、人の話を聞くと、「余談」があるのが大変おもしろいですね。
一見つながらない話の展開が、新しい発想や発見を生むように感じます。
本だけでは行き詰まることが、講義によって新しい理解をつかむことに繋がることがありそうです。
大学の講義はつまらない、という話しを聞きますが、ひょっとしたら、聞く側にも多少問題があるのかもしれませんね。
実際、大学の先生の話は、私にはとても興味深い話ばかりです。
あるいは、たまたま私の運がいいのかもしれませんが。

【鑑賞】ジョイス・スペンサート展@NANZUKA(渋谷)

東京の南青山にある「根津美術館」で開催されている「尾形光琳の燕子花図」を見に行く途中、渋谷のアートギャラリーである「NANZUKA」に寄ってみました。
なんとジョイス・スペンサートさんの展示がこの日から始まったようで、見ていくことにしました。

ジョイス・ペンサートさんは、アメリカ人女性アーティストで、アニメーションのキャラクターを大きくペイントなどで描く作家さんのようです。
少し不気味で、悲しげな印象の作品が多い印象です。

展示室の奥にあるのはバッドマンのオマージュでしょうか。
悲しみと怒りから来る咆哮を感じさせる表現で、とてつもない激しさを感じます。
#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

また、シンプソンズのパパもなんだか憂いをたたえた表情がなんともいえず面白い。
#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

世の中には、こういう作家さんがいて、こんな作品があるんですねぇ。

ショップには佐伯俊男の小冊子も売っていて、買おうかと思いましたが、踏みとどまりました。
通り道の渋谷で、思わぬ出会いがあり、ありがたい限りでした。


#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

【読了】もっと知りたい尾形光琳(中野啓子著、東京美術)

東京の南青山にある「根津美術館」で開催されている「尾形光琳の燕子花図」を見に行くため、予習として『もっと知りたい尾形光琳』(中野啓子著、東京美術)を読んでみました。

本書は、大変スッキリした内容で光琳の生涯と代表的な作品を紹介していました。
光琳が生まれるところから始まり、画家となり、江戸に行き、また京都に戻ってくる…それぞれに段階に光琳の芸術家としての影響があり、それらを代表作を通して観ていきましょうという趣向です。
最後には光琳の後の世代についても触れられています。

今回私が一番観ておきたかったのは、もちろん『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』(国宝、根津美術館蔵)。
この絵のモチーフとなったのは、『伊勢物語』の第九章に出てくる「から衣 きつつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う」という有名な歌の頭文字を取った「かきつばた」だと言われているようです。
(東国に向かう旅の途中で、妻を置いて来て、ここまで来たことを振り返る悲しい歌のようです。みんなこのあと泣きながらご飯を食べて、ご飯がふやけちゃったそう)

本書の言葉を借りるならば、この絵と向き合う時の知識として、
「かきつばた」から『伊勢物語』そして住み慣れた都を離れ東国に向かう在原業平の望郷の思い。一つのモチーフから生み出される様々なイメージ、そこに美術作品鑑賞の面白さがある。
ということを心に留めておくのは有益かと存じます。

さて、『燕子花図屏風』は、見れば見るほど引き込まれる、不思議な屏風です。
単調なのにリズムがあり、平面的なのに奥行きを感じます。
どんどん視線が横に、奥に、あるいは上に下に引っ張られていくような感じがしてしまい、あたかも自分がこの絵の二次元の世界に入ってしまったかのような感覚に陥ってしまうのです。
金の地に、のっぺりとした緑と青を乗せた絵にしか見えないのに、どこかアンバランスで、違和感を覚えさせ、一体何を語りかけたいのか? と深読みしたくなってしまうものがあります。
根津美術館での現物鑑賞が楽しみです。

また、燕子花で言えば、「八橋蒔絵硯箱(やつはしまきえすずりばこ)」(国宝、東京都美術館蔵)という面白い作品もあります。
これは箱の五面渡って橋をかける、ユニークなデザインで装飾された箱で、燕子花は貝を使って光る趣向が施されています。
美しさがたまりません。
色がいいのでしょうか? 多分それだけではなく、質感や素材の味、丸み、シンメトリーなデザインが一度見ると目を離せなくさせるのでしょう。
ついつい橋を巡って行ったり来たりしながら燕子花を鑑賞せざるを得ません。
こんなんよく思いつきますね。光琳さん。
そして、こういうふうに箱や焼き物にもたくさんの作品を残したのが、尾形光琳なのです。
弟の尾形乾山(おがたけんざん)は焼き物で有名ですが、合作も結構多いようです。

また、光琳は、もともと能が好きだったようです。
でも、遊び人だったようで、お金をバンバン使っちゃって、お金を稼ぐ必要があったことから絵描きになったとか。
本格的に絵描きになったのは、30歳の後半とのこと。
そんなんでこんな作品たちを残せるのだから、すごいことだなと思います。

その他にも、素敵な作品がいくつもありました。
メモとして残しておきたいと思います。
・仙翁図香包
・千羽鶴図香包
・金鶏雌図画稿
・竹梅図屏風
・松島図屏風
・風神雷神図屏風
・槇楓図屏風
・八橋図屏風
・孔雀立葵図屏風
・四季草花図屏風
・紅白梅図屏風
・(おまけ)百合図(乾山作)


【読了】奇想の図譜(辻惟雄著、ちくま学芸文庫)

『奇想の図譜』(辻惟雄著、ちくま文庫)を読みました。


先日記事にも書いた、『奇想の系譜』 (ちくま学芸文庫)の続きですが、内容は北斎、若冲、洒落、白隠を取り上げつつ、『奇想の系譜』の根源がどこにあるのか、縄文土器以来の作品を取り上げながら辿っていく本でした。
最終的には、「見立て」を用いた「かざり」に行き着きます。
前回の記事【読了】奇想の系譜にも

しかし、著者のあとがきにおいて、結局のところ取り上げた奇想の画家6名も単独で存在し得たわけではなく、それまでの主流の流れを汲む中でも前衛的であっただけだ、というように書かれています。
ということは、多分生まれるべくして生まれた作品(あるいは画家)たちだった、といいたいのではないかと、私は理解したいです。
と記載をいたしましたが、結局この系譜は日本人の「かざる」という根源的な性質から起きたものであるということをこの本は証明するべく書かれたものだと思われました。

もともと「かざる」心があり、そこには2種類、すなわち陰と陽の側面があり、陽のほうが奇想=奇をてらう大胆な色彩や構図の絵を産んだというのがこの本の論です。(ちなみに、陰とは詫び・寂びの方向のようです)
ホイジンガの言葉をもじった「文化は<かざり>の形をとって生まれた。文化はその初めから飾られた」が著者の本当に言いたいことだったのではないかと思います。(元ネタ:ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』「文化は遊びの形をとって生まれた、つまり、文化はその初めから遊ばれた」)

東京都美術館で開催されている『奇想の系譜展』にも行きましたが、この本も読んでいればよかったなと少し残念です。
(奇想の系譜展は4月7日(日)まで。まだ行っていない方は、ぜひ本書と『奇想の系譜』を読んでから足をお運びください)

余談ですが、洛中洛外図屏風は当初岩佐又兵衛作説を否定していた著者が、後にその考えを改めることになったのだということなので、ぜひその書(浮世絵をつくった男の謎 岩佐又兵衛 (文春新書))も読んでみたいと思いました。
また、『ホモ・ルーデンス』も読みたいですね。



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【読了】奇想の系譜

『奇想の系譜』(辻惟雄著、ちくま学芸文庫)を読み終えました。

これから東京都美術館の『奇想の系譜展』を見に行かれる方は、ぜひ一読されることをおすすめします。

残念ながら私はこれまで美術史に関する本を読んだことがないため、本書が当時の日本美術界にどのような意義を投じたかはいまいちピンときてません。
当時は流派こそが日本美術史だった?ようなので、そういう意味において<傍系>や<異端>を取り上げた書としてセンセーショナルであったようです。
しかし、著者のあとがきにおいて、結局のところ取り上げた奇想の画家6名も単独で存在し得たわけではなく、それまでの主流の流れを汲む中でも前衛的であっただけだ、というように書かれています。
ということは、多分生まれるべくして生まれた作品(あるいは画家)たちだった、といいたいのではないかと、私は理解したいです。

いろいろな作品が出てきますが、私が一番観たいと思ったのは、狩野山雪の『老梅図襖』(メトロポリタン美術館所蔵)。
襖いっぱいに蛇行する梅の木のグロテスクさがたまりません。
本作は、株式会社キヤノンによる綴プロジェクトのお陰で精巧な複製が京都天祥院に寄贈されているそう。同社には、私も一眼レフでお世話になっておりますが、改めて素晴らしい会社だと認識しました。今後も積極的に同社の製品を使いたいと思います。GRDⅣとともに)

その他、岩佐又兵衛作の「官女観菊図」(山種美術館)と「山中常盤物語絵巻」の比較や、蘆雪の「薔薇に鶏図襖絵」と応挙の「双鶏図」の比較はぜひ今度やってみたいと思いました。

それから、若冲の作品に登場する「眼」や「のぞき穴」についての指摘も、言われればなるほと確かになぁと思わされます。

本作に書ききれなかったことを、『奇想の図譜』という本に書いているようなので、続いて『奇想の図譜』も読む予定です。


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【鑑賞】奇想の系譜展@東京都美術館

東京都美術館で開催されている『奇想の系譜展』に行ってきました。
これは大変おすすめな美術展です。

奇想の系譜』とは、美術史家・辻惟雄氏(1932〜)が、書いた著作で、これまであまりスポットライトのあたらなかった、自由な発想で筆を扱う画家たちを紹介したもの。
この「奇想の系譜展」では、著書『奇想の系譜』で取り上げられた6人の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の他に白隠慧鶴、鈴木其一の作品を展示しています。

かなりビビッドな配色の作品もおおく、見ごたえがあります。
作品のサイズも大きいので、混み方は先日の北斎展の鑑賞に比べれば、かなり鑑賞しやすい。
また、今回は『奇想の系譜』を少し読みながら行ったため、結構面白がりながら観ることができました。
(『美の巨人たち』で伊藤若冲の回を見ておいたのも良かったです)

興味深い展示は多々あったのですが、最も印象に残った作品はといえば、岩佐又兵衛作の『浄瑠璃物語絵巻』でした。
色の鮮やかさはもちろんですが、線の細かさ、ディテールの緻密さ、金銀の量、全てが尋常じゃありません。
しかもこれらは、多分展示物を見ないと、なかなかわからないもののように思います。
特に金銀の装飾については、度肝を抜かれました。
(え、こんな装飾がされてるの?てか金銀つかいすぎじゃね?)と思うこと必定です。
(牛若の口説き方がキュートなところも必見です)
また、その隣にある同氏作の「山中常盤物語絵巻」も相当なもんです。ただ、こっちはどちらかと言うと、ショッキングな意味で度肝を抜かれました。
常盤御前の死にゆくところをアニメーション動画のように何枚も描いており、正直しつこいくらいです。グロいし。

あとは、先日びじゅチューン!で出てきた『竜虎旅館』の団体客である猿達の元ネタであろう作品『群猿図襖』も見れたのがありがたかったです。
やっぱり元ネタがあったんですね、と一人で納得してます。
(そうえいば、武蔵の遅刻理由の元ネタも見れました。『宮本武蔵の鯨退治』。想像していたよりサイズが小さかった。)


今回、初めて東京都美術館にお邪魔しましたが、施設としての広さに驚きました。作品も多い。
ちなみに、一人で全部見るのに2時間かかりました。
当初は1時間位と思っていたのですが、馬鹿言っちゃいけませんね。

同館では、今後クリムト展なども開かれるようなので、ぜひまたお邪魔したいと思います。

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【鑑賞】北斎展@森アーツセンターギャラリー

六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている『新北斎展』に行ってきました。

六本木ヒルズには、過去に『会田誠展:天才でごめんなさい』を見に行ったことがあるくらいなので、今回が2回め。
花の金曜日、夜18時半の六本木は多くのオフィスワーカーで溢れていました。
そして、この新北斎展はその中でも一際人の多く集まる場所だったに違いありません。
チケット買うのに30分、買って52階へ向かい、企画展を見るのにさらに20分も待つ必要がありました。
『フェルメール展』もびっくりです。
まぁ、北斎は有名な方ですし、それに東京でこのような展示が見られるのは、これが最後のようです。(詳細はこちらの下の方
今後は島根でのみの公開になるとのこと。
地方創生的には大変よろしいことと存じます。
(その分電子データに自由にアクセスさせてほしいところですが)

フェルメール展と比べて大きく違うのは、作品の数とサイズ。
この新北斎展では、約480点もの作品が展示されており、かつサイズが小さいものが多い。
したがって、近くで見るために、行列ができてしまうわけですね。
単眼鏡も、ゆっくり見る時間もなく、殆ど鑑賞ができませんでした。
まったく美術鑑賞というのは、あとに予定を入れてはなりません。
それから、ベースとなる知識もないので、北斎がどうすごいのか?ということがよくわからず、細かい線を書く人だったんだなー、とか、作風が結構変わってるんだねー、とか、そんな薄っぺらいことしか感じられませんでした。
(ただ、全体を通じて、結構書くことそれ自体が好きだったひとなんだろうな、と感じました。というのも、結構テーマが多岐に割っているし、日常的な題材も多かったので、普段から気になるものを書いていたのだろうなぁと思いました)

自分が今回の展示で気になったのは、『しん板くミあけとう ろふゆやしんミセのづ』。
この作品の面白いのは、もうこのときには混浴ではなかったのかな?というところでもあるのですが、一番は中の女性の一人がかの有名なボッティチェリの『ヴィーナスの誕生」のような格好をしていることです。
ヴィーナスの誕生は1483年頃の作品(wikipediaより)のようなので、当該作品を知っていたのかな?という疑問もありますが、女性が胸と局部を隠しているというのが、斬新でした。
まだ江戸時代でしょう?そんな貞操の感覚あったのかな?
北斎が生きていたのは、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)(wikipediaより)のようなので、ちょうど混浴が取り締まられ始めた時期なのでしょうか?
この辺は、先日読んだ『性のタブーのない日本』をもう一度当たりたいところです。

それとも、隠しているような意図などはなかったのでしょうか…気になるところです。
あと、2階の男たちが下を見ているのは、多分覗き穴を覗いてるんじゃないかな?なんてアホなことを想像したりして、結構楽しく鑑賞できました。

全体として、展示は、本当に全然楽しめませんでしたが、wikipediaで北斎のことを読んでみると、めちゃくちゃ面白い人ですね。
ちょっと(いやかなり)変人だったようです。
それがしれただけでも良かったとしましょう。
これも出会いです。

今回の鑑賞の反省点は、以下のとおりです。
次回は対処して、鑑賞を楽しみたいと思います。

1.事前学習の不足 
北斎ってどんなひと?何がすごいの?みどころは?
2.眼鏡、単眼鏡の不携帯
サイズに対する理解が乏しいが故に
3.音声ガイドを借りなかった
多分借りたほうがよかった。でも、時間もなかった。
4.時間に余裕を
落ち着いて見ないと、何も感じられない。
音声ガイドを使わないなら、集中するために耳栓をつけてもいいかもしれない。

こんなところでしょうか。
来週は上野の東京都美術館で開催されている『奇想の系譜展』に行く予定なので、ちょっと勉強をしておこうと思います。
混んでないといいけど…無理だろうなぁ。

単眼鏡は、Kenko 単眼鏡 ギャラリーEYEがほしいところです。

1万…このまえGRDⅣを買っちゃったからきついなぁ…
こちらのサイトで紹介しています。

【鑑賞】フェルメール展@上野の森美術館

2月3日(日)のフェルメール展@上野の森美術館に行ってまいりました。
この日は最終日で、人混みもひとしおかという日でしたが、日時指定のチケットのためさして並ぶこともなく入れた。
この日のために、『西洋絵画の楽しみ方』を読み、満を持してフェルメールの絵と対面せんと乗り込んだ訳です。



まず一つ大きな勘違いをしていたのが、全展すべてフェルメールだと思っていたことです。
だから、中盤まで全部フェルメールの作だと思ってて、いろんな画風があるんだねぇーなんて思いなが見て回りました。
あるタイミングで「そりゃねえだろう」と気づくわけですが、一人で赤面してしまいます。
展示の大半は、フェルメールと同時代に活躍した作家たちで、フェルメールの作品はかの有名な『牛乳を注ぐ女』を含む、最後の10点。
特にフェルメールの展示スペースは人も多くて、絵がそんなに大きいものばかりではないため、正直よくわからなかったです。
偉大な作品を生で見た感動はもちろんあるのですが、それは頭で感じる感動であり、体感的なものはよくわからなかったというのが私の感想でした。
しかし、この作品群が絵画史上の奇跡とも評される作品である以上、私の目が節穴なのだと判断するしかありません。
多分、基礎知識が足りないのです。
すなわち教養不足(かつ感受性不足)なのでしょう。
次にフェルメールの作品を見たときに、もう少し【鑑賞】が出来るように、勉強しておきたいものです。

なお、私の感性では、以下の二人の作品が非常に心に残りました。

ヤン・デ・ブライの『ハーレルム聖ルカ組合の理事たち』
画像

ヤン・ファン・ベイレルトの『マタイの召命』
画像

なんというか、私は、写実的な絵が好きなのかなぁと思えます。
そういえば、先日行った「吉村芳生展」も大変感動したものでした。
美術手帖の該当ページ

今回の一番の驚きは、音声ガイドが石原さとみさんだったことです。
下世話な話ですが、相当お金をかけてるのではなかろうか?
上野の森美術館では、10月にゴッホ展も企画されているようなので、ぜひ行ってみたいと思います。
私は、自分では、あまり都会にこだわる人間ではないと思っていましたが、上野公園がある以上、東京からはそう離れて暮らせそうにないなぁと思わされるフェルメール展でした。
(二人のヤンのせいですが)

【読了?】西洋絵画の楽しみ方完全ガイド

西洋絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
西洋絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
池田書店
2007-03-28
週末にフェルメール展に駆け込むのに向けて、予習しようと読みました。
読了というよりは、通読のほうが正しいかもしれません。
めちゃくちゃ面白かったです。
画家同士のつながりや、画風の系譜がわかりやすく表現されているのがよかった。
これをもとに興味のある画家の他の作品を鑑賞したり、という楽しみ方ができるだろう。

通読して思うのは、絵画作品は、歴史そのものなのだということ。
芸術品であることもあるが、歴史の資料だとも捉えるならば、確かに貴重品として扱われなければならないのも納得。
また、面白いのは、その時代時代の雰囲気を表しているものが多いということ。
つまり絵画はその時代の文化を現代に残していると言えるんだろうなぁと思いました。
(文学とおんなじ機能ですね)

ちなみにこの完全ガイドシリーズには、他にもクラシックや日本絵画を題材にしたものもあるようなので、近いうちに読みたいなぁと思います。
日本絵画のガイドに、浮世絵もあるといいのだけど…(多分あると思いますが)

そして、今後も引き続き、びじゅチューン!をチェックしていきたいと思いました。
美術館巡りの旅行にも行きたいものです。
CD2枚付 クラシック音楽の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
CD2枚付 クラシック音楽の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
池田書店
日本絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
日本絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
池田書店
2007-12-05

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...