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「赤星孝と赤星信子展」と「第29回福岡県中学校美術展」@福岡県立美術館

福岡県立美術館に行ってきました。
https://fukuoka-kenbi.jp/
(〒810-0001 福岡市中央区天神5丁目2-1 TEL 092-715-3551)

今は、「赤星孝と赤星信子展」が開催されておりました。
夫婦で絵描きという赤星夫妻は、生前共催で展覧会を開くことがなかったのを、同館が企画し夫婦のコラボレーションを図った展覧会です。
いいなぁと思ったのは、

・「自画像」赤星孝
全体的に影が多く、すごく渋い感じが良いです。怪しい雰囲気。だけど力強い。葉巻とバーボンが似合いそう。ダンディー。

・「シシ」赤星孝
画面いっぱいに2頭の獅子。四角で作られたその獅子は、無機質なのに、コミカルな感じ。止まっているような、でも動いているような、不思議な感覚です。直線と直角が多いので、口などに使われている曲線が目立つ。そのチグハグさが独特な愛らしさを醸し出しているのかもしれない。

の2つです。

両氏とも、抽象画が多く展示されていて、一体何を表したいのか、観る者に委ねているような作品が多い印象でした。
だから、よくわからない。
でも、それもいいものです。
その「よくわからない作品」は、作者にとっては完成品としての作品なのだから、私たちはその作品を見て「何を表したかったのか」を問えばいい。
答えはもちろんないのですが、「ひょっとして?」なんて考えるのも面白いし、「やっぱようわからん」でも別に何も減りません。
特に赤星信子氏の作品は、キャンバス一面を赤く塗って、その赤の塗りの厚さで「何か」を表現していたように見受けられました。
一体何を?
結局それはわかりませんが、このもやもやがなんとなく楽しい。
まぁこういう楽しみ方が楽しいから私は美術館に行くかもしれません。

ちなみに、こういう楽しみ方は本でもできます。
例えば、佐藤亜紀さんの著作を読んでみてください。
多分少しだけ私の言いたいことがわかっていただけると思います。

ーーー

同館では同時開催で「第29回福岡県中学校美術展」も行われていました。
もちろんこれも見ていくつもりでした。
ただ正直こちらはあまり期待せずに同館に来たのですが、その期待はいい方向に裏切られました。
めちゃめちゃおもしろい。中学生レベル高い!
特に目を引いたのはガラスアートやスクラッチアート。動物の毛やサメの肌をものすごく繊細に再現していて、惚れ惚れしました。
こういう作品があった事自体、初めて知り、大変勉強になりました。

また、有名な絵画(例えばゴッホの「ひまわり」など)の贋作というか、模写のようなものも多数あったのですが、「なるほどそういう解釈もあるのか!」というような色使いやデフォルメ、加工などがされており、これまた刺激的でした。
別の歌手が歌った好きなアーティストのカヴァー曲がなかなかいい!でもそれ聴くと原作も聴き返したくなっちゃう!みたいな感じでしょうか。原作の違う側面が強調されるような、そんな不思議な感覚を覚えました。
(宮崎あおいの歌うソラニンみたいな感じです。)
他にも、細かいのですが、立体構図を描いた作品に付した作者自身のコメントなんかも非常に味があり、中学生ってこんなこと考えてるんだなと、年寄りみたいにしみじみ感じ入ってしまいます。
いいよ、すごくいい。すごく楽しい。

全体として、技術が高いわけではありません。
そして、展示されている作品すべてが素晴らしいと感じたわけでもありません。
殆どの作品は、別に誰かに何かを感じさせることもなく、この展示を終えるのでしょう。
しかし、これらの作品を作っている時間というのは、本人にとって、非常に豊かな時間になっているんじゃないかな、とそんなことを思わされました。
「なんのため」「何に役立つ」そういうことを無視した純粋な表現の楽しみのようなものを感じます。
展示の質、量、共に、無料で見ちゃ申し訳ないレベルといっていいと思いました。
なかなかどうして、中学生も侮れません。

ーー

佐藤亜紀さんはどの小説を読んでも「意味わからんのに面白い」「全然話についていけないのに読み進めるのをやめられない」という体験をさせてくれる、私にとって最高の作家さんです。
その中でも『天使』は割りとわかりやすい方な気がしますので、皮切りにぜひ。

【読了】美術館へ行こう(草薙奈津子著、岩波ジュニア新書)

『美術館へ行こう』(草薙奈津子著、岩波ジュニア新書)を読みました。



優しい語り口で美術館の表も裏も話してくれる素敵な本でした。
また、
・適当な感じで交渉に来た外部の学芸員にちょっと意地悪をしちゃった
・展示品を貸してくれない修復家に心のなかで憎まれ口を叩いちゃったり
など、所々に著者の本音が垣間見えて、非常に親近感がわきます。
ちなみに著者は平塚市美術館の館長。

以前、■子どもたちに美術鑑賞の楽しみをという記事を書きましたが、本書には以下のような記載がございました。
また最近は、小中学校での美術教育の一環として鑑賞教育に力を入れるようになってきています。おのずと美術館の出番も多くなってきているのです。(同書P25)
実際にもうこういう取り組みに向かっているのですね。
非常に素晴らしいことだと思います。
絵がうまくなくても、美術は楽しんでいいのです。
そして、自分がある作品からどう感じようと、それは個人の勝手なのです。
こういう個人の勝手な感じ方を尊重することが、個人の尊厳につながるのだということを教えることは、学校教育の非常に大切な役割だと思います。

その他、学芸員にも専門分野があるとは知りませんでした。
また、キュレーターという仕事が、学芸員の仕事を細分化した内の一つであるということもこの本で初めて知りました。
欧米の有名な美術館では、キュレーターの他にもかなり細分化された専門家が配置されているようで、日本ではまだまだ美術館の事業や学芸員の仕事の地位が低いということが伺えます。

本書の中で私が特に感銘をうけたのは、以下の箇所です。
どんなに汚い箱でも捨ててはいけないと言いましたが(中略)新しいものに勝手に変えたりしてはいけません。(中略)なぜなら、そういった古いものにはきちんとした来歴由緒があって、そのまま保管しているのかもしれないからです。歴史のあるものには思いもかけない秘密と価値があるのです。(同書P107-108、下線は私の加筆)
この一文にははっとさせられました。
これは美術作品にだけ言えることではなく、普遍的なことではないかと思わずにはいられません。
「自分には価値の分からないもの」にも「それでも価値がある」と認められること、これが知性を探求する第一歩のような気がします。
もし美術教育が、ここにまで及ぶのであれば、展示される作品や制作する作家、そして美術館・学芸員・管理方を含む行政を見る目は、輝きに満ちてくるのではないかと期待せずにはいられません。

子ども向けの本ですが、全然馬鹿にはできません。
案外大人は、子どもに向けたほうが、本音を語れるのかもしれませんね。

今度是非一度同美術館にお邪魔してみたいなぁと思います。

【鑑賞】尾形光琳と燕子花図@根津美術館

【聴講】燕子花図と洛中洛外図(奥平俊六さん)@根津美術館
の続きです。


さて、講演後には、改めて展示を拝見いたします。
お目当ての『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』(国宝、根津美術館蔵)ですが、六曲一双の屏風を生で見ると、やはり違います。

金のグラデーションにのっぺりとした質感の燕子花が並んでいるだけなのですが、よく見ると青の色も花弁ごとに違うんですね。
(帰って本で確認すると、たしかに違ってましたが、気づきませんでした)
また、他の作者の燕子花を題材にした作品と比べると、燕子花の花弁が随分ぽっちゃりと強調されていることもわかりました。
とてもアンバランスな感じなのに、調和が取れているようにも見えるのが不思議な感じ。

こういう地が金の作品は、印刷や画像と現物では受ける印象がだいぶ違いますが、本作も同じ印象でした。
また、サイズが思っていたよりも大きく、現物を見ていると屏風の中に没入している感じがしてきます。
(奥平先生いわく、本作は伊勢物語の在原業平が「かきつばた」の歌を読んだ時に見ている燕子花をイメージしているとのこと。見る人を、在原業平にさせようとしているのではないか、というような話をされていました)

本展示の、もう一つの目玉である『洛中洛外図(根津本)』も見てきましたが、これは大変おもしろいですね。
前の記事でも書きましたが、これを見ながら京都巡りを是非したいと思いました。
なぜデジタルデータを公開してくれないのでしょうか。
デフォルメしたものをショップで販売してほしい!
他にもお伊勢めぐりの絵もありましたが、こちらも販売してくれ!

他の作品としては、光琳のお父さんの作品なんかもあります。
光琳はお父さんも芸に通じていたのですね。
弟も焼き物をやっているし、芸術一家だったようです。
また、光琳の周辺の人の作品も多く展示されていました。
全体としての展示は多くないことから、光琳自体の作品は割合としては少なめな印象です。

常設展では、茶器や箱も展示されており、日本人の生活品への芸術意識がどんなものであったか垣間見ることができます。
よく日本人が独創性のないコピー民族だという考えは、多分戦後の高度成長期以降のことなのではないでしょうか。
こんなに芸術が庶民にまで広まっている国はないのではないでしょうか、と思えてしまいます。
(浮世絵なんかがいい例ですよね)

根津美術館は、建築物としても、非常に洗練されていました。
根津美術館は、閉館が17:00のため、講演を聞いたあとではあまり鑑賞する時間が長くありません。
従いまして、できれば午前中に展示を鑑賞し、カフェで昼を食べ、庭を散策した後に講演を聞くという流れが良さそうです。
次はそのようなスケジュールでお邪魔したいと思います。
(家で相談したら連れに怒られそうですが…)

【鑑賞】ジョイス・スペンサート展@NANZUKA(渋谷)

東京の南青山にある「根津美術館」で開催されている「尾形光琳の燕子花図」を見に行く途中、渋谷のアートギャラリーである「NANZUKA」に寄ってみました。
なんとジョイス・スペンサートさんの展示がこの日から始まったようで、見ていくことにしました。

ジョイス・ペンサートさんは、アメリカ人女性アーティストで、アニメーションのキャラクターを大きくペイントなどで描く作家さんのようです。
少し不気味で、悲しげな印象の作品が多い印象です。

展示室の奥にあるのはバッドマンのオマージュでしょうか。
悲しみと怒りから来る咆哮を感じさせる表現で、とてつもない激しさを感じます。
#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

また、シンプソンズのパパもなんだか憂いをたたえた表情がなんともいえず面白い。
#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

世の中には、こういう作家さんがいて、こんな作品があるんですねぇ。

ショップには佐伯俊男の小冊子も売っていて、買おうかと思いましたが、踏みとどまりました。
通り道の渋谷で、思わぬ出会いがあり、ありがたい限りでした。


#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

#NANZUKA #joicepensato #JoicePensato #ジョイス・スペンサート

【鑑賞】ピエール・セルネ&春画@シャネルネクサスホール

東京・銀座のシャネルネクサスホールで開催されている美術展「ピエール・セルネ&春画」に行ってきました。

ピエール・セルネさんのカップルたちのヌード写真をシルエットで描いた作品と、江戸時代の春画というなんのぼかしもない作品を一緒に展示させることでその対比を楽しむ、といったもの。
随所にのぞき穴が拵えられており、そこから覗いて観るセルネさんのシルエット写真は確かに艶めかしいというか、こちらが恥ずかしい気持ちになります。
(あくまでシルエットなので、その絵を観て「お、これは…」と思うことは、つまり自分がそういう想像をしている、ということを認識することなので、これがなかなか恥ずかしい)
なのに、覗くのをやめることができないというか、絵を凝視してしまうというか、そんな心持にさせる趣向が面白いです。

春画の作品としては、喜多川歌麿鈴木春信鳥居清長鳥文斎栄之葛飾北斎の作品が展示されています。
かなり有名所の作品ばかりで、しかも人も少なく、ゆっくりと鑑賞を楽しむことができました。
作品も厳選されているので、一つ一つをじっくりと観れます。
大きな企画展もいいですが、私は、美術鑑賞というのはこういう環境でこそしたいと思います。

特に素晴らしいと感じたのは、鳥文斎栄之作の『源氏物語春画巻』。
おい源氏、やり過ぎだろ!と笑ってしまうのはもちろんですが、局部の濡れているべきところに透明な絵具で上塗りがされており、しっかりと濡れているように見えるようになっている点が、細かいなぁと感心してしまいました。
しかもちゃんと液体がまとわりついているような形に塗られています。
これは多分現物を観ないとなかなか鑑賞できないでしょう。
現物を観に行くことの意義を再確認させていただきました。

後は、鳥居清長の『袖の巻』の一部。
(リンク先の画像参照)狭い構図の中で寝そべる二人の顔が、あまりにも満ち足りた表情なのがたまりません。
性の喜びを素朴に、大胆に、行為の後として描いているところもいいなぁと思います。

それから、北斎の絵を観ると、どうしてもくずし字が読みたくなりますね。
読めない自分が悔しくなる気がします。
なかなか時間は取れませんが、少しずつでもくずし字の練習をしたいと思いました。

今回の展示は前半とのことなので、時間が合えばまた後半にもお邪魔したいと思う展示でした。

カップルで来ている客が半数ぐらいあり、大変うらやまし限りでしたってのは余計ですね。

春画に興味のある方は、絶対に行くべき展示です。
こんなにゆっくりと、現物の名作を鑑賞できる機会はそうないのではないかと思います。
しかも無料。
私はこれまでシャネルというブランドに関心がありませんでしたが、今回の展示を楽しんだことで、今後見る目が変わりました。
作者の選出も王道ですし、それぞれの作品もその作者の代表的なものとして紹介されるものが多々ありますから、私のような美術に感心を持ち始めた初心者にもおすすめできると思います。

繰り返しますが、素晴らしい展示でした。

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【鑑賞】奇想の系譜展@東京都美術館

東京都美術館で開催されている『奇想の系譜展』に行ってきました。
これは大変おすすめな美術展です。

奇想の系譜』とは、美術史家・辻惟雄氏(1932〜)が、書いた著作で、これまであまりスポットライトのあたらなかった、自由な発想で筆を扱う画家たちを紹介したもの。
この「奇想の系譜展」では、著書『奇想の系譜』で取り上げられた6人の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の他に白隠慧鶴、鈴木其一の作品を展示しています。

かなりビビッドな配色の作品もおおく、見ごたえがあります。
作品のサイズも大きいので、混み方は先日の北斎展の鑑賞に比べれば、かなり鑑賞しやすい。
また、今回は『奇想の系譜』を少し読みながら行ったため、結構面白がりながら観ることができました。
(『美の巨人たち』で伊藤若冲の回を見ておいたのも良かったです)

興味深い展示は多々あったのですが、最も印象に残った作品はといえば、岩佐又兵衛作の『浄瑠璃物語絵巻』でした。
色の鮮やかさはもちろんですが、線の細かさ、ディテールの緻密さ、金銀の量、全てが尋常じゃありません。
しかもこれらは、多分展示物を見ないと、なかなかわからないもののように思います。
特に金銀の装飾については、度肝を抜かれました。
(え、こんな装飾がされてるの?てか金銀つかいすぎじゃね?)と思うこと必定です。
(牛若の口説き方がキュートなところも必見です)
また、その隣にある同氏作の「山中常盤物語絵巻」も相当なもんです。ただ、こっちはどちらかと言うと、ショッキングな意味で度肝を抜かれました。
常盤御前の死にゆくところをアニメーション動画のように何枚も描いており、正直しつこいくらいです。グロいし。

あとは、先日びじゅチューン!で出てきた『竜虎旅館』の団体客である猿達の元ネタであろう作品『群猿図襖』も見れたのがありがたかったです。
やっぱり元ネタがあったんですね、と一人で納得してます。
(そうえいば、武蔵の遅刻理由の元ネタも見れました。『宮本武蔵の鯨退治』。想像していたよりサイズが小さかった。)


今回、初めて東京都美術館にお邪魔しましたが、施設としての広さに驚きました。作品も多い。
ちなみに、一人で全部見るのに2時間かかりました。
当初は1時間位と思っていたのですが、馬鹿言っちゃいけませんね。

同館では、今後クリムト展なども開かれるようなので、ぜひまたお邪魔したいと思います。

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【鑑賞】北斎展@森アーツセンターギャラリー

六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている『新北斎展』に行ってきました。

六本木ヒルズには、過去に『会田誠展:天才でごめんなさい』を見に行ったことがあるくらいなので、今回が2回め。
花の金曜日、夜18時半の六本木は多くのオフィスワーカーで溢れていました。
そして、この新北斎展はその中でも一際人の多く集まる場所だったに違いありません。
チケット買うのに30分、買って52階へ向かい、企画展を見るのにさらに20分も待つ必要がありました。
『フェルメール展』もびっくりです。
まぁ、北斎は有名な方ですし、それに東京でこのような展示が見られるのは、これが最後のようです。(詳細はこちらの下の方
今後は島根でのみの公開になるとのこと。
地方創生的には大変よろしいことと存じます。
(その分電子データに自由にアクセスさせてほしいところですが)

フェルメール展と比べて大きく違うのは、作品の数とサイズ。
この新北斎展では、約480点もの作品が展示されており、かつサイズが小さいものが多い。
したがって、近くで見るために、行列ができてしまうわけですね。
単眼鏡も、ゆっくり見る時間もなく、殆ど鑑賞ができませんでした。
まったく美術鑑賞というのは、あとに予定を入れてはなりません。
それから、ベースとなる知識もないので、北斎がどうすごいのか?ということがよくわからず、細かい線を書く人だったんだなー、とか、作風が結構変わってるんだねー、とか、そんな薄っぺらいことしか感じられませんでした。
(ただ、全体を通じて、結構書くことそれ自体が好きだったひとなんだろうな、と感じました。というのも、結構テーマが多岐に割っているし、日常的な題材も多かったので、普段から気になるものを書いていたのだろうなぁと思いました)

自分が今回の展示で気になったのは、『しん板くミあけとう ろふゆやしんミセのづ』。
この作品の面白いのは、もうこのときには混浴ではなかったのかな?というところでもあるのですが、一番は中の女性の一人がかの有名なボッティチェリの『ヴィーナスの誕生」のような格好をしていることです。
ヴィーナスの誕生は1483年頃の作品(wikipediaより)のようなので、当該作品を知っていたのかな?という疑問もありますが、女性が胸と局部を隠しているというのが、斬新でした。
まだ江戸時代でしょう?そんな貞操の感覚あったのかな?
北斎が生きていたのは、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)(wikipediaより)のようなので、ちょうど混浴が取り締まられ始めた時期なのでしょうか?
この辺は、先日読んだ『性のタブーのない日本』をもう一度当たりたいところです。

それとも、隠しているような意図などはなかったのでしょうか…気になるところです。
あと、2階の男たちが下を見ているのは、多分覗き穴を覗いてるんじゃないかな?なんてアホなことを想像したりして、結構楽しく鑑賞できました。

全体として、展示は、本当に全然楽しめませんでしたが、wikipediaで北斎のことを読んでみると、めちゃくちゃ面白い人ですね。
ちょっと(いやかなり)変人だったようです。
それがしれただけでも良かったとしましょう。
これも出会いです。

今回の鑑賞の反省点は、以下のとおりです。
次回は対処して、鑑賞を楽しみたいと思います。

1.事前学習の不足 
北斎ってどんなひと?何がすごいの?みどころは?
2.眼鏡、単眼鏡の不携帯
サイズに対する理解が乏しいが故に
3.音声ガイドを借りなかった
多分借りたほうがよかった。でも、時間もなかった。
4.時間に余裕を
落ち着いて見ないと、何も感じられない。
音声ガイドを使わないなら、集中するために耳栓をつけてもいいかもしれない。

こんなところでしょうか。
来週は上野の東京都美術館で開催されている『奇想の系譜展』に行く予定なので、ちょっと勉強をしておこうと思います。
混んでないといいけど…無理だろうなぁ。

単眼鏡は、Kenko 単眼鏡 ギャラリーEYEがほしいところです。

1万…このまえGRDⅣを買っちゃったからきついなぁ…
こちらのサイトで紹介しています。

【鑑賞】起点としての80年代@静岡市美術館




(静岡市美術館HPから引用http://shizubi.jp/index.php)

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/15497

ただ今静岡へ出張に来ておりますので、アフター5にお邪魔してきました。
静岡駅の傍にあり、とてもきれいな内装の美術館です。
働いているスタッフさんの感じもすこぶる良い。
また、ありがたいことに、80年台生まれの人は300円引きの800円で入れたことも、大変ラッキーでした。(年がバレそうですね)

さて、展示はと言えば、なかなかユニークというか、理解しがたいと言うか、「これにはどういう意図や目的があるのだろう?」という作品が多くありました。
説明では戦後の現代美術の研究に立脚する70年代までとサブカルチャーん影響を受けた90年代以降の表現の間にある80年代の美術を見つめ直す、ということが書かれておりましたが、難しい。
抽象画などについては、多分意図も目的もなく、そこには表現があるだけ、ということもあるでしょうから、上のような「?」は野暮なのかもしれません。

とはいえ、すべての作品について意味不明で何も感じなかったというわけではなく、中には「ふふふ」と思ってしまう作品がいくつもありました。

例えば、中村一美さんの『湿潤気候の樹林』は、なんとなく女性が泣いているような姿が見て取れて面白かったです。

また、杉山知子さんの『the midnight oasis』なんかは、まどか☆マギカの世界を感じさせる作品でした。

吉澤美香さんの『RO-9』という作品は、強烈な赤色と平面上に書かれた円・丸みが、とてつもない勢いを持って迫ってきます。激しさと、少しの怖さと、不安さが湧き上がってくるのを感じました。

その他、日比野克彦さんの紙で作られたジャケット『SWEAYT JACKET』は精巧に作られているのに、紙の質感が残っている感じがとても新鮮でいた。
サイズや見た目が、本当に着れそうなリアリティを持って作成されているのが面白かったです。

中でも最もオモシロイと思ったのが、森村泰昌さんと藤本由紀夫さんの作品。

森村さんはゴッホになりきる写真を取っていたり、胸像になりきる写真を取っていたりと、写真なのに、絵画風で、しかもパロディーで、そこになんとも言えないおかしみが含まれていて、画集をほしいなと思うほどでした。
(この方は大変おもしろみに富んでおられます。
 森村ミュージックって本当にあるのかしら?
 今度大阪に行く機会があれば、行ってみたいけど…)

また、藤本さんの作品では、特に『HERMETIC SCALE (DIAMETERE)』という、サイズの違う五枚のお皿の上に、それぞれ音をだす針金を歪ませたオルゴールユニットが置かれているという作品で、全部いっぺんに鳴らしてみると、それぞれのオルゴールの音も違うし、ゼンマイが動く影響で時々鳴る皿の音も違う。
それらがアンサンブルして起こすなんともとらえどころがない旋律がおかしかったです。

これまであまり地方の美術館なんて興味なかった(と言うか美術時代に興味がなかった)ですが、行ってみると、なかなかおもしろいですね。
ひょっとしたら、面白そうだな、と興味を持っていくからいいのかもしれませんね。

そう言えば、昨日夜食を買いに行ったセブンイレブンで『大人が行きたい美術展2019』なる雑誌が売られておりました。
1000円近くするため、少し考えてしまいます。

【鑑賞】フェルメール展@上野の森美術館

2月3日(日)のフェルメール展@上野の森美術館に行ってまいりました。
この日は最終日で、人混みもひとしおかという日でしたが、日時指定のチケットのためさして並ぶこともなく入れた。
この日のために、『西洋絵画の楽しみ方』を読み、満を持してフェルメールの絵と対面せんと乗り込んだ訳です。



まず一つ大きな勘違いをしていたのが、全展すべてフェルメールだと思っていたことです。
だから、中盤まで全部フェルメールの作だと思ってて、いろんな画風があるんだねぇーなんて思いなが見て回りました。
あるタイミングで「そりゃねえだろう」と気づくわけですが、一人で赤面してしまいます。
展示の大半は、フェルメールと同時代に活躍した作家たちで、フェルメールの作品はかの有名な『牛乳を注ぐ女』を含む、最後の10点。
特にフェルメールの展示スペースは人も多くて、絵がそんなに大きいものばかりではないため、正直よくわからなかったです。
偉大な作品を生で見た感動はもちろんあるのですが、それは頭で感じる感動であり、体感的なものはよくわからなかったというのが私の感想でした。
しかし、この作品群が絵画史上の奇跡とも評される作品である以上、私の目が節穴なのだと判断するしかありません。
多分、基礎知識が足りないのです。
すなわち教養不足(かつ感受性不足)なのでしょう。
次にフェルメールの作品を見たときに、もう少し【鑑賞】が出来るように、勉強しておきたいものです。

なお、私の感性では、以下の二人の作品が非常に心に残りました。

ヤン・デ・ブライの『ハーレルム聖ルカ組合の理事たち』
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ヤン・ファン・ベイレルトの『マタイの召命』
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なんというか、私は、写実的な絵が好きなのかなぁと思えます。
そういえば、先日行った「吉村芳生展」も大変感動したものでした。
美術手帖の該当ページ

今回の一番の驚きは、音声ガイドが石原さとみさんだったことです。
下世話な話ですが、相当お金をかけてるのではなかろうか?
上野の森美術館では、10月にゴッホ展も企画されているようなので、ぜひ行ってみたいと思います。
私は、自分では、あまり都会にこだわる人間ではないと思っていましたが、上野公園がある以上、東京からはそう離れて暮らせそうにないなぁと思わされるフェルメール展でした。
(二人のヤンのせいですが)

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...