ラベル 社会保障 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 社会保障 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

名ばかり大学生(河本敏浩、光文社新書)



名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (河本敏浩、光文社新書)を読みました。
まことに面白かったです。
著者は東進ハイスクールの講師という肩書なので、予備校講師から見た学力の話なのかな?と思って読み始めましたが、そんな限定的な話ではなく、今の教育制度の根本的な瑕疵を様々なデータから考察している素晴らしい本でした。
絞れば荒れる、12歳で大きな壁、いずれも聞けばなるほど納得の論でした。

要点を列挙します。
・絞れば荒れる(大学定員の減少は、いい改革ではない)
・大学のアクセスをよくせよ(間口を拡げよ)
・初年次教育にこそ力をいれ、卒業しにくくするべき
(ちなみに、入りやすく、卒業しやすいのは日本独自。日本はとにかく私学が多すぎる)
・対策としては、「義務教育修了の資格試験」「古典読書の奨励」など
・とにかく、現行の制度設計の失敗点を認めて、いい教育を再生産できるように再度制度設計すべき(競争しても子どもは伸びない。競争すべきは大人である)
・今は大学受験も勉強をするモチベーションにできない(12歳で超えられない壁、地方と都市部の熱量差)
・東北大学が地域での勉強のモチベーションの底上げに貢献している。しかもAOの方がいい学生が入る(新しい展開。受験生も手間を理解する)
・教育を公共事業と捉えて、お金を投入することも大事(中等教育を無償化しないのは世界にも珍しい)
などなど

これらを挙げた後、著者は以下のように締めくくる。
 つまり、問題は学力論ではなく大学論なのである。まず議論の出発点を大学教育、あるいは選抜試験のありようから始めるべきなのではないか。小学校や中学校、高校を「改革」しても誰も踊らないが、大学入試が変われば、教育熱心な家庭は一斉に変化する。
 だから、小学校や中学校、高校の小手先の改革はすべてやめた方がいい。改革など何もせず、勉強をしない子供に大人が一生懸命教えるということだけを念頭に置いて行動するべきである。
 高校卒業時に中学レベルの学力を問う資格試験を実施し、それに向けて大人が競い、より多くの子供が目標を達成するべく奔走する。塾にはできないが、小学校や中学校、高校にできることは学力の底上げである。これは目立たないが、極めて重要なことである。なぜならそういう手厚い教育を受けた子供は、学校を信じ、社会を信じ、そして大人になったときに子供を学校や勉強に積極的に関与させるだろうから。
 誰がどう考えても、教育の根本はこういう営みにこそあるのではないか。そしてそう思い、行動している人は、この現代の日本において決して少ない数ではないはずだ。
(同書P196。下線は私の加筆)

義務教育終了の資格試験も無理のない提案かと思います。
加えて古典を読ませる対策も、いいなぁと思いました。
(考える子は、読めば色々考えるでしょうからね)

子どもの教育がうまくできていないと感じるのであれば、それは大人の作った制度に問題がある、というのは真摯な受け止め方だと感じます。
その上でいかに子どもの学びに寄り添うかということが重要で、子どものときに受けた対応を、その子が子ども持ったときに次世代に伝えてしまう、というサイクルができてしまうことを、大人が理解することが大切なのでしょう。
我が家の場合は、どうなのだろう。
ちゃんと子どもの学びに付き添ってあげられてるんだろか。
時々わが身を顧みないといけないなぁと反省させられます。


また、やはり教育は、現場に任せたほうがいいのだ、と言うのは秋田県の義務教育に関する対応の成果をみて思います。
そして、行政、文科省はそれらの良い点を他の地域に共有するところに役割を負うというのがいいのでしょう。
これは、■教育改革の幻想(刈谷剛彦、ちくま新書)と同じ結論です。
相手が人間である以上、画一的な対策には無理が生じてしまうのでしょう。
ましてや地域ごとに文化や風習も違うのであればなおさらです。

その点から考えると、リーダーシップを求める組織というのは、そもそも弱い組織なのかもしれません。

ーーー

大学人として、東北大学のオープンキャンパスに行ってみるのは、具体的にできる行動でしょう。
文系理系両方共なかなかおもしろそうな催しがたくさんありそうです。
http://www.tnc.tohoku.ac.jp/opencampus.php


共働き社会は格差を固定する



結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~ (光文社新書)

仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)人口減少社会の未来学を上げながら、出生力の回復に向けて、女性の社会的なつながりと経済基盤の確保の重要性を指摘しました。
しかし、結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~ (光文社新書)では、共働き社会の実現は、必ずしもいいことばかりではないことを突きつけてきます。
共働き社会は、格差の固定を引き起こしかねないのです。

原因は、女性の社会進出が進む一方で男性の非正規雇用率を高まっていることが一点。
また、人は、放っておくと価値観や考え方の近い同類と結婚する傾向があるという点がもう一点。
この2つが組み合わさるとどうなるか?
その答えが、「傾向として、金持ち同士、貧乏同士のカップリングが増える」という事態に至る、というわけです。

私の読んだ限りでは、これを解決するすべはまだ見つかっていないようです。
著者は税の仕組みからこの解決が測れないか?との問を立てますが、税の仕組みは一長一短あり、あちらを立てればこちらが立たずと言った状況で、バシッと解決する方法はまだ見つかっていないのだとか。
具体的に言えば、あんまり高所得者に税金をかけ過ぎるとカップルが成立しにくくなるし、かと言ってやすくすると格差が広がる…そんな感じです。
筆者は最後に、「結婚しなくても困らない社会を作ること」が大事では?との提言をしていました。

以下は私の感想です。
「結婚しなくても困らない社会」この実現にはもうベーシック・インカムしかないのでは?と早合点したくなります。
ベーシック・インカムであれば、低所得の人のほうが税的な補助が多くなるし、子供を生むことで収入が増えるわけだから出生力にプラスに働くと思われます。
また、そもそも子供を経済的な負担から作れないという事態は減るのではないでしょうか。
加えて言えば、こうした経済的な基盤があることで、ケア・サービスに就職するハードルも下がり、サービスの拡充が格差の是正を伴いながら、進んでいくのではないでしょうか?
(ちょっと話がうますぎるので、眉唾ものですが)

ちなみに、現状ではケア・サービスは格差が前提で供給されており、ケア・サービスは供給する側が、自分たちのケアの機会を奪われる事態が生じています。
例えば、移民のケア・ワーカー(ナニー)は、自分の子供のケアを自国のケア・ワーカーにまかせています。
つまり、国と国との格差を利用して、先進国はケア・サービスを享受しているわけですね。
ケア・サービスを受けれる経済的に優位な女性しか、経済的な安定を得られないという格差の固定化が進んでいるようです。



ベーシック・インカムに興味のある方は、下の書籍もご参考になさってください。
   

関連記事
【読了】AI時代の新・ベーシックインカム論(井上智洋著、光文社新書)
【読了】ベーシック・インカム(原田泰著、中央公論社新書)

少子化対策のヒント(『人口減少社会の未来学』から)



人口減少社会の未来学を読みました。

前回の記事では少子化においては、女性がいかにして経済基盤を獲得するかが出生力の回復に重要な要素であり、「共働き社会」の実現が少子化社会脱却の第一歩になるのではないか、という提言をした『仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)』を紹介しました。

これについて、「ではどうすればいいのか?」のヒントが『人口減少社会の未来学』には書いてあります。

本書は専門の異なる著者陣が、自身の専門領域から人口減少という現象を捉えてその社会がどこに向かうのか、どういう対応が求められるのか、などについて論じています。

著者陣の一人、平田オリザさんの章には、女性が子供を生みたくなる自治体の具体的な取り組みが紹介されています。

特に市役所内にワークシェアリングの場を設けるなどの取り組みは、女性をコミュニティーに緩やかにつなぐ、素晴らしい取り組みだと思います。
ただ、平田オリザさんの提言の中で私が重要だと思ったのは、「女性が昼間っから酒を飲んでも後ろ指を刺されない社会でないと話にならない」という指摘です。
このことは、何も女性が昼間から酒を飲める環境をもっと作るべき、という具体的な対策をすすめるものではないと思われます。
この指摘は、もっと大きな視点、すなわち「個人を尊重しつつ、緩やかなつながりが形成できる社会」を目指しましょうという提言だと私は捉えました。

これからの自治体は、女性が安心して子供を産み、育てる環境を作れるかどうかが生き残りのポイントで、そのためには、母親の生活しやすい社会基盤が必要です。
こういった社会基盤を整備するためには、市民一人ひとりが「個人を尊重する」「個人が社会につながることを奨励する」意識を持つことが重要で、そのことを「昼間から外で酒を飲んでも」に込めたのだと思います。

女性が安心して子供を産み、育てられる自治体であれば、やがてその子供たちが大人になり、子供を産もうと思ったときに帰ってくる可能性も高まるでしょう。
多くの自治体がそうなれば、国として見た際には少子化という問題が改善されていることになる。
そして、現にそういう自治体が出てき始めている。

地域が母親を助け、地域で子供を育てるという意識のある自治体づくりが求められているということですね。
でも難しいのは、あまり介入しすぎるのもマイナスだということ。
それは確かに勝手すぎる気もしますが、それが移住者の本音であることもまた事実でしょう。

自治体の担当者は、こんなに難しいことを調整しなくちゃいけないんだから、まずは公務員の給料を上げるとこから始めてもいいのでは?と思えてしまいます。
公務員の皆さんにはほんとに頭が下がります。

やっぱり導入しようよベーシックインカム

【読了】妻たちの思秋期(斎藤茂男著、講談社+α文庫)
の続きです。

『妻たちの思秋期』を読むと、男女の平等はどこに置くべきなのか?ということを考えてしまいます。
男と女は生物学的に見てもかなりその生態に違いがあります。
(例えば月経や妊娠・出産など)
あくまで肉体的に、という意味のおいては、男のほうがあまり変化がなく、安定していると言えるでしょう。
だからこそ、会社という組織に属する歯車としては、男のほうが都合がいいのです。

しかし、この前提で物事を話していくと、どうしたって女性は勝ち目がありません。
だってそれは生理的なことだから。
それは背が高い人のほうが出世に有利(そんな会社があればの話ですが)というくらい理不尽なことに思われます。
とはいえ、こうした流れは急には変わらないでしょう。
ましてや日本の場合には解雇ができませんから、ことを慎重に進めるだろうと思われます。

じゃぁどうすればいいか。
とりあえずベーシックインカムを始めましょう。

夫婦のトラブルでも、一番の問題は「お金」のことだと思います。
お金のことさえ解決できれば逃げられる女性が多いというのが現実ではないでしょうか。
また、離婚による貧困で困るのも、ほぼ女性でしょう。
子の面倒を見るのも多くは女性でしょうし、育児や主婦でブランクのある女性が正社員で就職できてかつ子を育てられる収入が得られるかといえば、かなり厳しいはずです。

だから、女性限定でもいいのかな?とも思いましたが、そうすると、多分女性は肩身がせまくなることでしょう。
「男に食わせてもらえていいな」的な嫌味を言うやつが出てくるでしょう。
そんな社会で果たして自己実現ができるかといえば、厳しいように思います。
だから、さっさと全員への支給を始めましょうよ。
始めてしまえば、世の中の流れを変えるきっかけになると思うのです。

  

【読了】「官僚とマスコミ」は嘘ばかり(髙橋洋一著、PHP新書)

『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』(髙橋洋一著、PHP新書)を読みました。

この作品は、先日『AI時代の新・ベーシックインカム論』(井上智洋著、光文社新書)を読んで、財務省がHPで堂々と国民をミスリードしようとしていることに衝撃を受けて手に取りました。
国家レベルの虚言(AI時代の新・ベーシックインカム論から①)

本作で種明かしされるのは、官僚がいかにしてマスコミをコントロールしているのかです。
それに付随して、コントロールされてしまうマスコミとはどんな人たちなのか、ということも書かれていました。
なんとなく、記者というと、ジャーナリズムという高い志を持った、知力・体力・気力に活気あふれる人種というイメージがありますが、本書で語られる記者は知識がなく、数字が読めず、官僚の言いなりという姿が描かれています。
また、新聞やテレビというメディアは、法律に守られている存在であることも明らかにされます。
どんなふうに守られているかは、著者のWeb記事をご覧になってください。
こんなんでよく世の中のことが批判できるなというふうに思ってしまいます。
新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」(講談社現代ビジネス)

その他にも、例えば「フィリップス曲線」という金融政策を実施する上でインフレ目標を決める道具も紹介されていました。
インフレの状況は、常に失業率と関連して説明されるのが海外では当たり前で、インフレが進んでも、フィリップス曲線に当てはめてみて、失業率がまだ下限に達していないのであれば、金融政策を緩めてインフレに進めればいい、ということが自動的に決められるという便利な道具です。
ちなみにこの失業率の下限の始まりの場所(最小のインフレ値)をNAIRUという言うそうです。
(豆知識です)

つまり、新聞等でよく聞く、インフレ目標2.0%と言うのは、日本におけるNAIRUを目指しているわけですね。
なんで2.0%と思っていましたが、根拠があったのです。

また、著者も井上氏と同様、「財政再建には反対」の立場を取っておられます。
結局バランスシートで考えたときに、日本の財政は諸外国と比べても、そんなに悪いわけではなく、アメリカと比較しても健全で、むしろもっと積極財政を行わないとダメだとの主張です。
なお、外務省も、外国で国債を売るときには、バランスシートを使っているようです。
いかに健全なのかを伝えないと、買ってもらえるわけありませんもんね。

こうして考えると、果たして新聞とは?テレビとは?と思ってしまいます。
一次情報にアクセスしやすくなった今の社会で、報道機関とはどういう役割が求められているのかを改めて問われる必要がるように思います。
ぜひともメディアに市場経済の原理を働かせていただき、第四の権力として、既存の権力に鋭いメスを入れていただきたいと思います。
そのためにも、広く浅い記事ではなく、「経済なら〇〇新聞」「教育なら〇〇新聞」「政治なら〇〇新聞」というように、個性を強めていってほしいと思います。
そうすることが、官僚との間に緊張感を生むことにもつながるでしょう。
私は新聞を購読していませんが、そんなふうになったら私も何か購読するかもしれないなぁと思います。

いろいろな見方をする必要がありますが、自民党も、官僚も、いいところとだめなところがあるということを感じます。
極端はあまりないようです。
マスコミが盛大に何かを報道するとき、だいたいは裏にマスコミの思惑がありそうです(例:モリカケ等)。
また、本書を読むと、安倍政権は経済政策においてまともだという印象を持ちます。
実際はどうなのか、私には結論が出せませんが、少なくとも雇用は回復しているし、経済政策も誤ってはいない感じ。
賃金上昇という目に見える効果が出るのは、どうもこれからのようです。

それから、官僚も有能な人が働いてくれているのだろうな、と少し安心しました。
なんとなくドラマなどの影響なのか、官僚と政治家は悪いやつばかりというイメージがありましたし、また、本書の中でもしょうもないのもいるような描写もありました。
しかし、それもやっぱり極端な話で、殆どの人は誠実に働いているんだろうなぁと思わされます。
じゃなきゃ、とっくにもっと大変なことになっているように思われます。
(とはいえ、消えた年金問題なんかのように、大変なことになっちゃった例もありますが…)

最後に、昨今の研究への助成に対する「選択と集中」についても、非常に珍しい理系出身の財務官僚として、疑問を投げかけています。
結局研究とは博打で、ハズレは多いが、当たればすごいことになる。
どのくらいすごいかというと、ハズレを全部取り戻してあまりあるくらいにすごいことになる。
ところがどっこい、(選択と集中をすると言っても)当たるかどうかは、やってみないとかわからない。
だから、投資と考えるべきだ、という論ですね。

これは、教育に関連する仕事をしている人間としては、非常にありがたい気持ちと、そのとおりですよね、という共感の気持ちがわきます。

研究とは、長期にわたるものです。
そして、成果が出てくる可能性は未知数です。
でも、それをやらなければ、革新的な技術発展はありえない。
であるならば、未来のために投資をしようという発想は、至って当然の発想であるように思います。
「明日の便利より、今日の飯」という状況の方ももちろんいるでしょう。
しかし、国の方針として、やはり未来の世代のことにも思いを馳せて予算を分配してほしいと思います。
そして、それは理系の技術的なものだけではなく、文系の文化的なものについても同様に発展と保存を目指して、支援をするべきではないでしょうかーー。

と、そんなことを思ったのでした。

幸せな世界とは(AI時代の新・ベーシックインカム論から③)

先日読んだ『AI時代の新・ベーシックインカム論』を踏まえて、特にVR技術について思うところを書いてみたいと思います。
本書の面白い点の一つに、BIとAIの話が中心になっていると思いきや、最後はVR(ヴァーチャルリアリティ、仮想現実)の技術についての警鐘で幕を閉じるという点があげられると思います。
本書の中でも突然湧いて出てきた感が否めないこのVR技術は、私たちの暮らしを根本から変えてしまうといいます。
著者は、VR技術の発展した世界を、映画『マトリックス』で例えていますが、それを聞いて私はハックスリーの『すばらしい新世界』を思い出しました。


人間は受精卵の段階から培養ビンの中で「製造」され「選別」され、階級ごとに体格も知能も決定される。また、あらゆる予防接種を受けているため病気になる事は無く、60歳ぐらいで死ぬまで、ずっと老いずに若い。ビンから出て「出生」した後も、睡眠時教育で自らの「階級」と「環境」に全く疑問を持たないように教え込まれ、人々は生活に完全に満足している。不快な気分になったときは、「ソーマ」と呼ばれる薬で「楽しい気分」になる。人々は、激情に駆られることなく、常に安定した精神状態である。そのため、社会は完全に安定している。ビンから出てくるので、家族はなく、結婚は否定されてフリーセックスが推奨され、人々は常に一緒に過ごして孤独を感じることはない。隠し事もなく、嫉妬もなく、誰もが他のみんなのために働いている。一見したところではまさに楽園であり、「すばらしい世界」である。すばらしい新世界 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こうやって考えてみると、マトリックスとすばらしい新世界が描こうとしているのは、非常に近いものがあると思います。
そこで問われているのは、「自分の知っている世界とは別の世界があり、別の世界から自分のいる世界がコントロールされているということを、知らないほうが幸せかどうか」でしょう。
私個人としては、さっさとすばらしい新世界のような世界が訪れることを願っておりますが、そのことが人間の営みとして正しいかどうかは、個々人意見の別れるところでしょう。
正直今に生きる私としては、違和感は感じまくりです。
そして、結局のところ、どんな世界を作ったとしても、ネオやジョンのような人間は出てくると思います。
なぜなら、これまでだって自分の知っている世界が、別の誰かにコントロールされているという状況は多々発生しましたし、人々はそこから脱することで文明が発展してきたからです。

たとえVRで一部(あるいは大多数)の人が「誰も傷つかない優しい世界」に没頭したとしても、おそらくそれとは違う世界(VRを排除した世界)が形作られるように思われます。
その世界とは、「人間の、人間による、人間のための社会」とでも標榜した世界になるのではないかと想像されます。
問題は、その2つの社会が共存できるかどうかではないでしょうか。
特に、人間の社会側が、VRの世界に生きる人々を許せるかどうかが重要になる気がします。

私は、できればVRの世界に住みたいし、そこで生きることを放っておいてほしいと思います。
皆さんはどうでしょうか?

ちなみに、本書では、VR世界の「人間社会としての欠落」した点を儒教やコミュニタリアニズム、アレントの視点から見つけつつも、だからVR世界がだめなのかというと、結論はすぐに出せないと締めくくっています。
確かに、VRに人々が溺れてしまうことは、意思のない個人を作り上げてしまう可能性があります。
そもそもその人を一人の人間としてカウントするかどうかについても、議論があるかもしれません。
マトリックスでは、だからこそ機械が世界を運用していたのでしょう。

果たして、私たち人類は、そのような世界を選ぶのでしょうか。
正直、そこに至る道筋が、私には全くイメージできないというのが、正直な感想です。
VR世界には浸りたいけど、想像力が追いつかない、もどかしい気分です。
ということで思いは答えに至らず、結局、「これまで通り生きていくことになるのではないか」という、面白くもない締めくくりになってしまいました。



ハクスリーは、『すばらしい新世界』では皮肉を持ってディストピアを描いたようですが、『島』という作品ではユートピアを描いたようです。
こちらも読んでみたいなぁ(と思うけど、古書なんですね)。

汎用AIがBIを連れてくる?(AI時代の新・ベーシックインカム論から②)

先日読んだ『AI時代の新・ベーシックインカム論』で紹介されていたAIの発展について、思うことを少々。

近頃、囲碁や将棋の世界でのAIの話題が多くなってきております。
これらは、特定の処理を高速に行うことができる、「特化型AI」と呼ばれています。
ある特定の職域は、こうした「特化型AI」に取って代わられることが予想されますが、人間の特異的な性質は「汎用性」という、新しい処理を覚えてそれをブラッシュアップできるところにあります(だから本当は人間よりAIのほうが専門職は得意なんでしょうね。かつ、人間には汎用性があるのであるから、昨今の非正規化の流れは、経営者の自由を追求するとすれば、必然なのだと思います。余談ですが)。
ところが、今AIの世界で目指されているのは、まさにその汎用性を持ったAI、すなわち「汎用AI」の開発なのです。
汎用AIが完成した暁には、情報を扱うことはすべてAIがやってくれるようになるようです。
情報というとわかりづらいかもしれませんが、要するに事務仕事については、ほとんどAIやAIを搭載したロボットが人間の代わりにやってくれるという事ですね。
「Hey,Siri.ウチの会社の過去5年の売上実績と純利益を比較して、分析結果をA4一枚くらいのレポートにしてくれる?」みたいなことができるようになるかもしれません。

こんな時には、もうロボットが肉体労働も取って代わるでしょうから、言葉通り、殆どの仕事がなくなります。
残る仕事は、想像系、経営・管理系、ホスピタリティ系の仕事のみとなり、更にそれらの仕事のなかでも、半分近い仕事が特化型AIによって奪われる可能性があると指摘されています。
結局、人口の一割くらいの人しか働く必要がなくなる社会が来るわけです。
「そんな世界で大丈夫なの?」と思いますね。
答えは、微妙です(またか!)。
働く人が減ったとしても、経営する人は、機械やAIを使って収益を出すことができます。
つまり、経営者と貧困者の格差が拡大していくわけです。
ただ、こうなると、実は経営者も困ります。
なぜなら、モノに対する需要が次第に乏しくなり、付加価値をつけてイノベーションを起こす機会がなくなるからです。
そうなると、どんどん経済全体が落ち込んでいくことになり、結局は資産家もジリ貧になっていくという流れですね。
ところが、こうした社会にBI(ベーシックインカム)が導入されることで、人々の暮らしを守ることができ、かつ需要も喚起することができるというのが著者の主張です。

大体こんなことが2030年頃から2060年までには、起こるだろうとのことですから、ひとまずはそこを安定して迎えることができるように、貯金をしておかなくちゃなと思います。
あとは、その辺から働かなくていいなら、なるべく元気に趣味を謳歌したいと思いますので、あまり仕事を頑張りすぎず、のんびり心穏やかに健康的な暮らしをしていきたいなぁと感じます。
実際のところは、BIが導入されるかどうかわかりませんし、汎用AIが導入されるかもわかりません。
だから、今まで通りに生きていくほかない訳ですが、こういうことを考えると、「お金の心配がなければ何がしたいか」という皮算用が、現実味を帯びてきます。
皆さんは、お金の心配がなければ何をしたいですか?

私は、正直、今の生活のままでいたいです。
上昇志向なんてありませんし、現状維持で十分幸せです。
ただ、仕事をしなくていいならば、今仕事をしている分の時間の半分くらいをボランティアに使い、もう半分を趣味に使うくらいがちょうどいいような気がします。
こんな考えが広がり、人々の自発的な活動が、結局みんなの暮らしを豊かにするような社会になるのであれば、さっさと汎用AIが普及して、BIも導入されるといいなと思います(そんな都合よくいくとは思えませんけどね)。

ただし、と著者は警鐘を鳴らします。
汎用AIが導入されて、BIが導入されないならば、格差が拡大し、固定化された社会、すなわちディストピアの社会が到来することも想定されるのです。



にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
ブログランキング・にほんブログ村へ

国家レベルの虚言(AI時代の新・ベーシックインカム論から①)

先日読んだ『AI時代の新・ベーシックインカム論』で知った、日本の財政状況について簡単にまとめます。

驚くべきことは、日本の財政は、全然悪くないということです。
どういうこと?日本って700兆の借金があるんじゃないの?それで全然悪くないってどういうこと?と思う方もいると思います。
私も大変驚きました。
でも、実情はそうではないようです。
日本政府が抱えている負債のは、国内における公債発行によります。
そして、公債は、日銀による買いオペレーションによって、貨幣と交換することで、市場から回収することができます。
「それでは結局お金を出すんだから借金じゃないか」と私は思いましたが、ここに通貨発行権というものが関わってきます。
中央銀行は、お金を作り出せるのです。
1万円札を作るのに、およそ20円のコストがかかることから、9,980円の利益を“生み出す”ことができます。
負債を回収するためのコストを自分で埋め合わせることができるわけですね。
そんなんあり?と思いますが、そうやって買いオペと売りオペで市場の貨幣量を調整することによって金融を調整するのが中央銀行の役割なのだそうです。
知らなかった…。こんなこと公民でならったかしらん?

そこまで説明を受けて、私としては気になることが出てきました。
「そんなことして大丈夫なの?」
答えは、微妙のようです。
なぜなら、買いオペレーションで市場に貨幣を流すことは、インフレーションを引き起こす可能性があるためです。
しかし、現在日銀は毎年60兆円分の公債を回収しているようですが、それでも目標としているインフレ率2.0%には達していないようで、つまり、今市場に貨幣を投下しても、しすぎることはない(インフレに向かわない)という状況だといえます。

ちょっとまってくれよ、そんなわけねーだろ!嘘ばっかし!
財務省はなんて言っているんだ!と私は思いました。
そこで、財務省のHPを見てみると、まぁ素敵に解説されています。
動画、図解、予算のポイント等を見ながら日本の財政を考える(財務省HP)
国の借金が多く、毎年増えている、だから増税が必要なんだ、という論法です。
非常にわかりやすい。
これを見たら、消費税上げなくちゃいかんねーなんて思いかねません。
(と言うか思ってました)
これに対しては、【三橋貴明】国を家計に例えるのはやめようをご一読ください。
これを読むと、途端に怒りがこみ上げてきます。
国レベルで国民を騙そうとしていると疑わずにはいられません。

その後も「なんでこんな騙すようなことをするのだろうか?」と調べてみておりますが、ここからはいろんな推測があるようです。
財務省の天下り先確保のためだなんていう意見もありましたが、どうなんでしょうね?
「部分的にはあるのかな?」なんてワイドショー的な疑い方ですが、確証は見つけておりません。
ちなみに、ある人の記事では、所得税がこれ以上あげられない(他国と比べて高い)から、消費税でまんべんなく税を徴収したいという思惑があるのではないか、と指摘していました。
しかし、消費税とは、相対的に低所得者が損をする税です。
そして、消費税増税はデフレを引き起こすことから、産業界からも敬遠されてします。
となると、安倍政権でこういう方針を立てていると言うのは、あまり考えづらいような…
(所得税を上げさせない方には安倍政権が噛んでいてもおかしくない気がしますが…これも憶測の域をでておりません。)
まだまだ勉強不足なのですが、謎は深まる一方です。

それから、なんで借金がないなら最近の災害等における復興にお金を回さないのか?という意見もあるかと思います。
なんでなんでしょうね?これは私にもよくわかりません。
もっとバンバン国債を発行して復興に予算を回せばいいのにと思えてしまいます。
素人としては、ある程度モラルを持って予算を配分しようという良心を感じます。
それが本当なのか、また、対応として正しいことなのかどうかは、全然判断できませんが…。

この辺は高橋洋一さんという方が詳しいようなので、高橋さんの著書を色々と読んでみたいと思います。

 

詳しい方がこの記事をお読みになられたら、ぜひご解説やご指摘をいただけるとありがたいなと思うばかりです。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
ブログランキング・にほんブログ村へ

【読了】AI時代の新・ベーシックインカム論(井上智洋著、光文社新書)

先日の記事『【読了】ルポ 中年フリーター(小林美希著、NHK新書)』でも引用をした『AI時代の新・ベーシックインカム論』を読みました。

めちゃくちゃおもしろい本でした。

まずは経済の話から入り、AIの今後に触れ、ついで政治的な思想に移り、最後はVR技術で締めくくるという構成。
非常にテーマが広く、かつどの項でも易しく、わかりやすい表現で説明がされており大変勉強になりました。
読んでみると、BIの導入は当然のように思えてきます。
著者の予想では2030年頃には汎用AIができ始めて、BIが導入されないならディストピアになりかねないと警鐘を鳴らします。
また、BIが導入されないと、消費がダメになるため、結局は経済が立ち行かなくなるとも主張。
要するに、BI等のバラマキをするしかないという結論になるということを説明していました。
2030年に失業か…と思うと、真面目に働くのがもう馬鹿らしいことのように感じてしまいます。
でも、著者の主張は笑ってしまうくらい肯定できます。
私もまた、リバタリアンでリベラリストなのかもしれないなと感じました。

あまりにも面白かったので、①貨幣制度、②AIの発展、③VR技術の3項目について、別途思ったことなどを書ければなぁと思います。
本書を簡単にまとめると、①により財源の確保は問題ないどころか、財源確保を行うためにもバラマキが必要だと主張します。
②によって雇用がなくなることを示し、BIが導入されるだろうと論じます。
導入には、「儒教的な道徳観」から派生してくる暗黙のルールが邪魔をするだろうと予想。
最終的にはBIの導入により人々はより人間らしく生きることができるだろうとまとめるかと思いきや、③の出現によって、人間の営みとは?という問を立てて幕が閉じます。
AI、BI、VRの導入で、これまでに実現しなかった優しい世界ができるかもしれないけど、それってどうなの?という問ですね。

少し方向はずれるかもしれませんが、どんどんと『素晴らしい新世界』(ハックスリー)の世界観に近づいているように感じます。
(そのうち発生も管理されるかもしれません)

また、「無知のヴェール」などの話を読むと、自分の人生も「たまたま」の上に成り立っていると理解でき、他の人に対して少し優しくなれる気がしてきます。

押し付けがましいところのない、素敵な本だと思いました。





にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
ブログランキング・にほんブログ村へ

【読了】ルポ 中年フリーター(小林美希著、NHK新書)

『ルポ 中年フリーター』(小林美希著、NHK新書)を読みました。



序盤、胸が痛くなる話が多いですが、最後には希望の光が差すという構成でした。
今後は少子化ですし、人材の確保が難しい時代になることが予想されるわけですが、こうした流れで中年のフリーターの方たちの可能性が明るいものになればいいなと感じます。
(移民の政策が進まなければの話ですが…)
しかし、前半の重さと言ったら…そこには”THE貧困”があぶり出されていました。

レールから外れると、もうレールには戻れず、かつ、ほとんど即貧困につながる流れが、取材を通じて見えてきます。
どう考えてもセーフティネットが機能していないと思わざるを得ません。
(本書では、アクセスに問題があるのか、法律・行政の運営に問題があるのかは触れていません)
この辺を知ると、ベーシックインカムの導入が本気で期待されます。
ベーシックインカム関連の本を読みたいと感じました。

また、あまりにも理不尽な働き方や生活を強いられているケースもあり、とても胸が締め付けられます。
自分はたまたまいい仕事につけたように思えます。
そしてそのことが少し後ろめたく思われるほどです。

『AI時代の新・ベーシックインカム論』の著書である井上智洋さんは、同著の中で以下のようなことを記載しています。
(私は大いに賛同するため、長めに引用させていただきます)

そう考えると、今、私がニートやホームレスではなく大学教員でいられるのは、究極的のところ偶然にすぎない。そして、私だけでなく、今順調な人は人生を歩んでいるという人は、等し並に運がよいのではないだろうか。(中略)人は、病気や障害、高齢、失業など様々な理由で貧困に陥る。純粋に労働意欲がなく怠けるというケースも中にはあるかもしれない。だが、勉強意欲や労働意欲がないことも、広い意味ではハンディキャップとはいえないだろうか? そうした人たちにも、生きる権利があってしかるべきではないだろうか? 生まれる前にまで遡行すれば、自分がホームレスになる人生を歩んでいたという可能性を私は全く否定できなくなる。その可能性に思いを馳せたとき、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保証された社会であって欲しいと願わずにはおれない。
本当にそのとおりだなぁと思います。
たまたま、自分は今の状況にありますが、そうでない可能性もあったわけです。
そう考えると、この社会でのうのうと生きてこれたことがなんだか綱渡りをしてきたように感じられます。

安定ばかりを求めては行けないと、おじさんたちは言いますが、こういう本をよむと安定こそ一番大事と思えてしまいます。
エイベックス社の社長が言う「安定しているからこそ、付加価値を生むことができる」という言葉は印象的でした。

個人としては、人とうまくやり、少しでも他社の成長に貢献できるように慣れればなと、薄っぺらい気持ちをつのらせています。

また、やはり子どもには、安定を求めてほしいなぁと感じます。
そして、その事自体は、親としては寂しくもあります。
叶うならば、ベーシックインカムのようなセーフティネットの充実した社会で、本人の希望に沿った生き方が選べればなぁと思います。

仕事の有無にかかわらず、その人の尊厳を保てる仕組みがあるといいなぁと心から願うばかりです。



にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
ブログランキング・にほんブログ村へ

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...