スピードアップは目隠しと同じ


スローライフでいこう―ゆったり暮らす8つの方法 (ハヤカワ文庫NF)

私達にとって、効率化が極限まで求められようとしているこの社会は、果たして”良い社会”なのでしょうか。
本書は、その問いを真っ向から否定して、スピードダウンすることの利を提示します。
現代社会の抱えるスピード狂いという現象は、実は仏教の祖、ブッダの生まれる前から存在し、多くの宗教や思想が効率追求による弊害を説いています。
具体的なステップを事例を踏まえて解説し、自分の人生を”意識して”生きるための方法を提示します。

具体的には、以下の8つのステップに集約されます。
1.スローダウンする
2.1点集中する
3.人を優先させる
4.感覚を制御する
5.精神的な仲間を持つ
6.啓発的な本を読む
7.マントラを唱える
8.瞑想をする

私は本書を購入して6年となります。
これまで何度通読したかわかりませんが、それでこの8つのステップを完成できるわけではありません。
はっきり言ってまだ1つもちゃんと取り組めているような気がしません。
ただ、6.7.8あたりについては、具体的にアクションすることなので、いくらか取り組みやすいと感じています。
特に、そのうちの「啓発的な本を読む」については、朝と夜寝る前に啓発的な本を読みましょう、ということなのですが、私の個人的な嗜好もあって、結構長く続けていられています。
著者は啓発的な本の例として「法句教」や「ヴァガヴァッド・ギーター」などを上げており、つまるところ思想の本ということで、これまで私にとってあまり関わりのなかった宗教や思想の書を手に取る機会を増やしてくれました。
そこで説かれている考えは、なかなかエキサイティングで、私に「そんな考えがあるのか」という驚きや、「すでにここまで整理して考えていた人がいるのか」という畏怖をもたらし楽しませてくれます。
また、ガンディーについての記述は、その後、私にとって特別な意味を持つようになりました。
ガンディーという一人の人間がいかに遠くまでたどり着いたか、私は20代の最後になってようやく知りました。
対話に基づく合意形成こそが市民の果たすべき使命であり、ガンディーはその使命を自身の生き方で表現したように思います。
市民的な成熟のモデルをダンディーにみるとすれば、成熟自体が困難なことに思えますが、ガンディーを目指すことが成熟へと向かう道と考えれば、道の上には乗れる気がします。
そしてこの「道に乗る」ということが”信仰”というものなのではないかな?とそんなことも思います。



本書はいろいろな思想や宗教が提示している”自分の人生をよりよく生きる術”を整理、統合し、現代社会でも理解・実践されやすいようにまとめたものです。
「なんかよくわからないけど毎日慌ただしい」と感じている人や、「一体何のために生活しているのかよくわからなくなってきた」と感じている人には、ぜひ一度手にとってほしいと思います。
著者の体験した「慌ただしい日常」における「小さな気付き」は、そうした人たちの気付きにも寄与するはずです。

共働き社会は格差を固定する



結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~ (光文社新書)

仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)人口減少社会の未来学を上げながら、出生力の回復に向けて、女性の社会的なつながりと経済基盤の確保の重要性を指摘しました。
しかし、結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~ (光文社新書)では、共働き社会の実現は、必ずしもいいことばかりではないことを突きつけてきます。
共働き社会は、格差の固定を引き起こしかねないのです。

原因は、女性の社会進出が進む一方で男性の非正規雇用率を高まっていることが一点。
また、人は、放っておくと価値観や考え方の近い同類と結婚する傾向があるという点がもう一点。
この2つが組み合わさるとどうなるか?
その答えが、「傾向として、金持ち同士、貧乏同士のカップリングが増える」という事態に至る、というわけです。

私の読んだ限りでは、これを解決するすべはまだ見つかっていないようです。
著者は税の仕組みからこの解決が測れないか?との問を立てますが、税の仕組みは一長一短あり、あちらを立てればこちらが立たずと言った状況で、バシッと解決する方法はまだ見つかっていないのだとか。
具体的に言えば、あんまり高所得者に税金をかけ過ぎるとカップルが成立しにくくなるし、かと言ってやすくすると格差が広がる…そんな感じです。
筆者は最後に、「結婚しなくても困らない社会を作ること」が大事では?との提言をしていました。

以下は私の感想です。
「結婚しなくても困らない社会」この実現にはもうベーシック・インカムしかないのでは?と早合点したくなります。
ベーシック・インカムであれば、低所得の人のほうが税的な補助が多くなるし、子供を生むことで収入が増えるわけだから出生力にプラスに働くと思われます。
また、そもそも子供を経済的な負担から作れないという事態は減るのではないでしょうか。
加えて言えば、こうした経済的な基盤があることで、ケア・サービスに就職するハードルも下がり、サービスの拡充が格差の是正を伴いながら、進んでいくのではないでしょうか?
(ちょっと話がうますぎるので、眉唾ものですが)

ちなみに、現状ではケア・サービスは格差が前提で供給されており、ケア・サービスは供給する側が、自分たちのケアの機会を奪われる事態が生じています。
例えば、移民のケア・ワーカー(ナニー)は、自分の子供のケアを自国のケア・ワーカーにまかせています。
つまり、国と国との格差を利用して、先進国はケア・サービスを享受しているわけですね。
ケア・サービスを受けれる経済的に優位な女性しか、経済的な安定を得られないという格差の固定化が進んでいるようです。



ベーシック・インカムに興味のある方は、下の書籍もご参考になさってください。
   

関連記事
【読了】AI時代の新・ベーシックインカム論(井上智洋著、光文社新書)
【読了】ベーシック・インカム(原田泰著、中央公論社新書)

少子化対策のヒント(『人口減少社会の未来学』から)



人口減少社会の未来学を読みました。

前回の記事では少子化においては、女性がいかにして経済基盤を獲得するかが出生力の回復に重要な要素であり、「共働き社会」の実現が少子化社会脱却の第一歩になるのではないか、という提言をした『仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)』を紹介しました。

これについて、「ではどうすればいいのか?」のヒントが『人口減少社会の未来学』には書いてあります。

本書は専門の異なる著者陣が、自身の専門領域から人口減少という現象を捉えてその社会がどこに向かうのか、どういう対応が求められるのか、などについて論じています。

著者陣の一人、平田オリザさんの章には、女性が子供を生みたくなる自治体の具体的な取り組みが紹介されています。

特に市役所内にワークシェアリングの場を設けるなどの取り組みは、女性をコミュニティーに緩やかにつなぐ、素晴らしい取り組みだと思います。
ただ、平田オリザさんの提言の中で私が重要だと思ったのは、「女性が昼間っから酒を飲んでも後ろ指を刺されない社会でないと話にならない」という指摘です。
このことは、何も女性が昼間から酒を飲める環境をもっと作るべき、という具体的な対策をすすめるものではないと思われます。
この指摘は、もっと大きな視点、すなわち「個人を尊重しつつ、緩やかなつながりが形成できる社会」を目指しましょうという提言だと私は捉えました。

これからの自治体は、女性が安心して子供を産み、育てる環境を作れるかどうかが生き残りのポイントで、そのためには、母親の生活しやすい社会基盤が必要です。
こういった社会基盤を整備するためには、市民一人ひとりが「個人を尊重する」「個人が社会につながることを奨励する」意識を持つことが重要で、そのことを「昼間から外で酒を飲んでも」に込めたのだと思います。

女性が安心して子供を産み、育てられる自治体であれば、やがてその子供たちが大人になり、子供を産もうと思ったときに帰ってくる可能性も高まるでしょう。
多くの自治体がそうなれば、国として見た際には少子化という問題が改善されていることになる。
そして、現にそういう自治体が出てき始めている。

地域が母親を助け、地域で子供を育てるという意識のある自治体づくりが求められているということですね。
でも難しいのは、あまり介入しすぎるのもマイナスだということ。
それは確かに勝手すぎる気もしますが、それが移住者の本音であることもまた事実でしょう。

自治体の担当者は、こんなに難しいことを調整しなくちゃいけないんだから、まずは公務員の給料を上げるとこから始めてもいいのでは?と思えてしまいます。
公務員の皆さんにはほんとに頭が下がります。

【読了】仕事と家族(筒井淳也、中公新書)



仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)を読みました。

女性の長期的な収入確保をどうするかが出生力に影響するようです。
ノルウェー(大きな政府)とアメリカ(小さな政府)はどちらも先進国の中で出生力が回復している国なのですが、その2つの国と他の国を比較しながら、そのことを本書は論証していきます。

それらを踏まえて、「日本ではなぜ少子化が進んでいるのか」といえば、日本は総合職という男しか働けない環境が広く整備されており、政府も企業のこの雇用体系をずっと支援してきたから、とのこと。
(そのおかげで財政支出を抑えることができたから)
こうすることで、女性は家庭にいることしかできなくなってしまったわけですね。
ここには農家を含む自営業がどんどん減っていったという背景も関わります。

このことはつまり、国が企業の働かせ方を変えさせれば、極端な少子高齢化を回避することができたと言えます。
でも、それをしなかった。
そこには戦争を経験した国民の「出産についての言及を忌避したがる感情」があったということもあるということですが、だからといって政府がそこまで具体的な対策を取ってこなかったことを否定できるわけではありません。
要するに国民・政府が目をそらし続けているわけですね。

また、個人的には、産業界の体質が全然変わっていないというのが非常に気になりました。
一大学人としては、これだけ大学に変われ変われと言っている産業界自身が全然変わっていないと言うのは笑止千万です。
自分たちが変われないから周りに変われというのはわがままではないでしょうか?

ちなみに、私自身は、少子化問題についてはかねてから「しょうがないのでは?誰も悪くないし…」と思っていました。
しかし、本書を通読すると、政府としてできることがこんなにもあったんだなぁと勉強になりました。
(あるいはそれは振り返ってこそわかることなのかもしれませんが)
そして、私のこの政府への批判は、結局のところその政策を議論させることのできなかった有権者(つまり私)にも向かってしまうということにも気付かされます。

本書一冊で「じゃぁ、個人としては結局どうしたらいいの?」という質問に即答できるはずもありません。
(結婚して産めというのは暴論でしょう)
しかし、その答え…ではないですが、ヒントは人口減少社会の未来学にありましたので、後日紹介します。

それと、余談ですが、著者は「「共働き社会」は日本社会のこれからの社会的連帯の第一歩であると筆者は考える。」と書きますが、実は結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)において、「共働き社会」が格差を固定化しかねないという論に達します。
自分で提言した内容の、批判を自分でしてしまうと言うのは、すごいことだと感じます。
こちらについても、後日紹介できればと思います。


辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...