先日記事にも書いた、『奇想の系譜』 (ちくま学芸文庫)の続きですが、内容は北斎、若冲、洒落、白隠を取り上げつつ、『奇想の系譜』の根源がどこにあるのか、縄文土器以来の作品を取り上げながら辿っていく本でした。
最終的には、「見立て」を用いた「かざり」に行き着きます。
前回の記事【読了】奇想の系譜にも
しかし、著者のあとがきにおいて、結局のところ取り上げた奇想の画家6名も単独で存在し得たわけではなく、それまでの主流の流れを汲む中でも前衛的であっただけだ、というように書かれています。と記載をいたしましたが、結局この系譜は日本人の「かざる」という根源的な性質から起きたものであるということをこの本は証明するべく書かれたものだと思われました。
ということは、多分生まれるべくして生まれた作品(あるいは画家)たちだった、といいたいのではないかと、私は理解したいです。
もともと「かざる」心があり、そこには2種類、すなわち陰と陽の側面があり、陽のほうが奇想=奇をてらう大胆な色彩や構図の絵を産んだというのがこの本の論です。(ちなみに、陰とは詫び・寂びの方向のようです)
ホイジンガの言葉をもじった「文化は<かざり>の形をとって生まれた。文化はその初めから飾られた」が著者の本当に言いたいことだったのではないかと思います。(元ネタ:ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』「文化は遊びの形をとって生まれた、つまり、文化はその初めから遊ばれた」)
東京都美術館で開催されている『奇想の系譜展』にも行きましたが、この本も読んでいればよかったなと少し残念です。
(奇想の系譜展は4月7日(日)まで。まだ行っていない方は、ぜひ本書と『奇想の系譜』を読んでから足をお運びください)
余談ですが、洛中洛外図屏風は当初岩佐又兵衛作説を否定していた著者が、後にその考えを改めることになったのだということなので、ぜひその書(浮世絵をつくった男の謎 岩佐又兵衛 (文春新書)
また、『ホモ・ルーデンス』も読みたいですね。






