本記事では、
■イスラーム法学者・中田考先生の入門書として|【レビュー】イスラーム 生と死と聖戦 (中田考、集英社新書)
で紹介した、『イスラム――癒しの知恵(内藤正典、集英社新書)』について書きたいと思います。
―――
イスラームって窮屈?
イスラームに限らず、宗教とはまず、意識的にせよ無意識にせよ、信じることから始まる。
イスラームにおいては、神と天使を信じ、預言者とクルアーンを信じ、来世と運命を信じる。
神と天使を信じるからこそ、預言者とクルアーンが信じられ、それゆえに来世と運命を信じることが出来る。
来世と運命を信じることで、イスラームは人々に規範と、その規範内における自由を与えている。
この世界で起こることは全て、神の思し召しである。
良いことも、悪いことも、全て神の思し召し。
それに対してどう解釈して、どう行動するかは、個々人に託されている。
イスラム教徒たちにおいて、その解釈・行動の指針となるのが神からの啓示であるクルアーンと預言者の現行録であるハディースだ。
それらに直接的・間接機に示されている指針に則って取った行動の結果として失敗したとしても、それはそれでポイントがつくというのがイスラム教である。
失敗もまた、神の思し召し。
しかし天国に近づくため、神の意志を推し量って行動をとったことにポイントがつく。
現世においてはマイナスの結果かもしれないが、来世で天国に行くことには近づくと考える。
生きていれば選択は日常茶飯事にやってくる。
何を食べるか、何を話すか、何をするか、どう過ごすか…などなど。
そうした選択の度にムスリムたちは指針に沿って考え、行動する。
なぜなら来世を信じており、来世に向けて少しでも近づける選択を取りたいから。
だから、来世を信じないならイスラームの戒律など守られるはずもない。
そもそも守る意義を見出せるはずもない。
現世での実害をいかに減らすかということに重きを置く方が合理的だ。
私たち日本人から見ればとても窮屈に見える。
でも、本当はそうではない、ということをわかりやすく教えてくれるのが『イスラム――癒しの知恵(内藤正典、集英社新書)』という本です。
この本は、現代イスラーム地域研究者である非ムスリムの著者が、イスラームにどのような生きる知恵が内蔵されているか、イスラーム地域での実際の体験を織り交ぜながらとてもわかりやすく記述しています。
戒律はやさしさ
イスラームは、人を弱いものと捉えている。
間違いを犯す存在、神から離れうる存在、それこそが人間だと規定する。
だからこそ、その誤りを起こさないようにする方法もセットで規定されている。
例えば、礼拝は、神から離れやすい人間が、1日に何度か神を思い出すことを助けるだろう。
また、婚前交渉の禁止は、公正な相続、結婚への動機づけ、感染症のまん延防止など、家族や親族、そしてもっと広い共同体の存続に寄与するものも考えられる。
施しやすいシステム
また、人の尊厳にも配慮されているのがイスラームのいいところだ。
イスラームでは、格差は当然あるものとして捉えられており、故にその格差を埋めることが良いと定める。
富める者は、施しをしなくてはならない。
しかし、面白いのは、この施しは、神への行為となるのである。
また、施しを受ける側も、神から施しを受けたものとなる。
つまり、善行は、神を経由して施されるのである。
与える方は、神様に対して差し上げて、来世へのポイントをもらう。
受け取る方は、神様から施されるのだ。
これなら与える方も気兼ねなく与えられるし、受け取る方も後ろめたさを感じることが少ない。
つまりみんながが施しやすく、施されやすい仕組みになっているのだ。
―――
危ない宗教なら16億人も信じない
上のような、イスラームが内包している機能について、本書は肯定的に紹介しています。
私たち日本人の社会は、イスラーム社会とは全然違うので、参考にできない部分も多いかもしれませんが、それでも本書を読むことでイスラームへの眼差しは少し柔らかいものになるのではないかと思います。
イスラームは決して危ない宗教でも怖い宗教でもないというのが私の考えです。
むしろとても合理的というか、理に適っているというか、無理がなく、よくできた宗教だと思います。
だからこそ各地域の言語や文化を残しながらと、人々は徐々にイスラームに入信していきました。
今では世界に16億人と言われていますが、そのわけの一端がこの本で理解することができると思われます。
イスラームに興味がわいた方は、以下の本もおすすめです。
0 件のコメント:
コメントを投稿