大学改革の迷走(佐藤郁哉、ちくま新書)




大学改革の迷走 (佐藤郁哉、ちくま新書)を読みました。
いやー面白かったです。
随所に皮肉が効いている、ユーモラスな本です。
ブラックユーモアですが。

この本の指摘は、別に教育だけに当てはまるものではないと思います。
内田先生が言うところの「この国の病理」の一つである「専門家のあたるべき問題を非専門家があたってしまう」ということを指摘しています。(内田樹の研究室:コロナウィルスと社会的共通資本2020-02-29 samedi)
そして、大学における政策の失敗について、本書はいろいろな角度(例えば、大学の中から、行政の側面から、などなど)から検証、評価、批判を行っています。

ポイントは以下の通り。
・シラバスの導入で事務業務が増加(しかも形骸化)
・PDCAは工場生産に用いるもので、予算管理の大学教育には適さない(PDCAは神話)
・結局PdCa(計画と評価のみ肥大してしまう。結果として形骸化する)
・KPIを目標にするのは見当違い。KPIはあくまでも達成の度合いを示す指標。
・民間の経営手法は少し遅れて(廃れはじめてから)行政や大学に入ってくるため、うまくその経営手法は機能しないし、次の経営手法がどんどん入ってきて、導入・幻滅を繰り返す
・金は出さないが口は出す行政が大学の多様性を奪っている
・日本はアメリカとは違う
・この国には、失策の責任者がいない
・この国の教育改革は小道具の変更に終止している
・理論武装するためのエビデンス集めが蔓延
・60万人調査も全然調査の手法を意識せずに進められている様子

これまでの多くの大学改革は、思いつき・思い込みをベースに設計され、やること時代に意味をもたせ、シラバスやKPI・PDCAといった小道具を導入することで現場を混乱させてきたというのが趣意。
(しかも結局形骸化して、実質化の改革を図るという始末)
原因として、それらの改革に乗っかった大学人にも問題があるとの指摘はごもっともだと思います。

著者はこれらを総括した上で、以下のようにまとめます。
もっとも当然のことながら、政治や行政の失策について指摘することと並んで大切なのは、大学と大学人がそれに対してどのように向き合ってきたかという点について改めて振り返ってみることでしょう。実際、幾つもの止むにやまれぬ事情があったにせよ、これまで大学側が「大人の事情」を優先させて示してきた対応の中には、子どもたちの未来を奪うことにつながりかねないものが含まれています。 いま必要なのは、そのようなもっぱら「大人たちの都合」だけで進められてきた従来型の改革について徹底的に問い直していくことでしょう。それは、取りも直さず、大学と大学教育が抱えている問題に関して、大学関係者が自分の頭で考え抜いた上で結論を出していくことに他なりません。そして、その結論については借り物ではない自分たち自身の言葉で表現していかなければなりません。実際、そのようにして、「大人げない話」をあえて口に出すことを抜きにしては、これから大学という場で学ぶことになる子どもたちにとって何が本当に必要になってくるのかという問いに対する答えの姿は見えてこないはずなのです。
大学は、あるいは学校は、子どもたちは、一様ではありません。
だからこそ、状況に即した対応なり対策が必要で、それは紋切り型のトップダウン式の改革では見当違いの結果を生むのは仕方のない事のように思います。
いかにしてボトムアップを促すのか、そういう発想で教育を捉え直す必要があると思います。
もし多くの人がこの「現場からのボトムアップ」を願うことができたら、その時教師と生徒の信頼関係が構築され、また地域と学校の信頼関係も整い、故に国としての人材育成も多様な、柔軟な、しなやかな形態を取れるのではないでしょうか。
優秀な指導者とは、ひょっとしたらボトムアップを促せる指導者なのかもしれませんね。
名ばかり大学生(河本敏浩、光文社新書)

この観点から考えると、刈谷氏が『教育改革の幻想』であとがきに書いていた「教育行政」を地方に委ねる、ということの重要性が理解できてくる気がします。
教育改革の幻想(刈谷剛彦、ちくま新書)
すべてを現場に任せるのではなく、現場周辺で色々と試行錯誤をしていく、そして大本の文科省が地域ごとのネットワークを形成して国としての共有を図るというのがいいのではないか。
とはいえ、これも理想論です。文科省が予算を地方に移譲するなど考えにくい。
省益と反するでしょうから。
だから、せめて大学だけは、うまくできないもんでしょうかね。
いや、うまくやるためにはやっぱりお金が必要だから、お上への忖度はなくせない。
どうも八方塞がりな感じになってしまった。どうにかうまくやる方策がないものだろうか…。

この本とその姉妹編である『50年目の「大学解体」20年後の大学再生』も近いうちに読んでみたいと思います。


   

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