氷川清話(勝海舟、講談社学術文庫)


氷川清話』(勝海舟、講談社学術文庫)を読みました。

夢酔独言』に引き続き、『困難な成熟』(内田樹、夜間飛行)で紹介されていた一冊です。
参考:夢酔独言(勝小吉、講談社現代文庫)

面白かったです。
勝海舟って、こういう人物だったんですね。
昔読んだ『武揚伝』(佐々木譲、中公文庫)では、ちょっと痛い感じで書かれていましたが、最下級の武士から直接将軍より幕府の後処理を任せられるまでに上り詰めた男としての貫禄というか、凄みみたいなものが本書からは感じ取れます。
視点がすごく高い。
それでいてシンプル。
おそらく、自分のダッシュボードの大きさをよく理解していて、そこに載せるべき要素の取捨選択に抜群の才能があったのだと思います。
そして、そこに父・小吉から引き継いだかはわかりませんが、胆力というものが備わったことで、このような人物が生まれたのでしょう。
本人は、剣術と禅のおかげと言っていますね。
あとは、戦が人を育てるとも言っています。
また、そういう意味では、今後人物が出てくる、ということもなかなか期待はできないということも話していました。
(この辺のことを、今読んでいる幸徳秋水の『帝国主義』(岩波文庫)は全面的に否定していますが、その幸徳秋水の書きぶりの痛快なことと言ったらありません。メッタ斬りです)
でも、そんなにこんな人間がホイホイ出てくるもんではないですよね。
だって、こういう人が他にいないから、勝海舟が幕府の後処理役になってしまっているわけで、そう考えると、その状況に適当な人物をしっかり表舞台に出す機能を維持しているのかどうか、ということのほうが重要な気がします。
そして現代においてそれができているとは思いませんが、明治維新30年の時点でもすでにそうだったようだ、というのが本書を読んで面白かったことの一つです。
父・勝小吉の本もそうでしたが、本書においても、気がつくと江戸の町中や明治の小さな座敷にタイムスリップしており、楽しい時間旅行できました。

ーーー

本書には、所々「爺の僻み」みたいな箇所もあります。
本人は政局などを「蚊帳の外」から見ているわけですから、もどかしさも多分にあったのでしょう。
それは、自分がその中心にすでに行けないことを知っているが故のもどかしさでもあると思います。
(役職定年になると、そういう気持ちになるのかもしれません)
だから、現役の議員や一部の人達からは(本人も言うように)「爺が何をいってやがんだい」というようなことにもなってしまうのでしょう。
聞いている側も「爺さんそりゃおかしいぜ」「そりゃいいすぎってもんだ」と感じる部分の散見されます。

ということで、なんとなく、本書は、おじいちゃんが死んだその葬式で、たまたま待ち時間に同じ机に座った親戚のおじちゃんから聴く昔話みたいな感じがあります。
話し方も面白いし、人のつながりとかが面白いから、なんか聞き入っちゃうんだけど、時々事実誤認や自慢話が織り交ぜられて、終いの方は少し説教臭くなっちゃう、みたいな。

それでも、人とのつながりって言ったて、あの西郷やら大久保やらですから、そんじょそこらのおじちゃんとはスケールが違いますね。
上の二人のほか、いろいろな方に対する人物評も、なかなかおもしろい。
「へぇ、そういう見方もあるのね?」という感じで勉強になります。
(横井小楠をえらく評価しているので、今度関連書籍を読んでみたいと思いました。)
あと、話しを聞いて(読んで)いると、西郷は非常にスマートな印象で、上野公園の銅像のイメージが崩れてきます。
(私の中で、もっと細身のイメージが強くなりました)

ーーー

また、本書からは、反知性主義の匂いも感じられました。
それは、おそらく勝が現場主義だったからでしょう。
世の中には、時勢があり、現場主義の時代と、知性主義の時代が行ったり来たりするのだと思います。
令和の今は、どっちなんだろう、もし現場主義の時代なら、勝の生きた時代のような、「社会に活かす知」を渇望する若者をどんどん登用する制度が必要でしょう。
(今はどちらかと言えば「自分を活かす知」が重用されている気がします)
でもそれは、ちょっと違う気もする。
もちろん、上昇志向の若者を積極的に登用することがだめだと言っているわけではありません。
(上昇志向の若者がどんどん登用するほどいるかは怪しいところですが)
多分今勝が生きていても、うまく必要なところには登用されないような気がするのです。
そういう制度になっているように思うのです。
それは、勝がこのような人物ではなく、腹黒く、卑しい性質を持っていたと仮定すれば、仕方ないことな気がします。
傑物がそのポストに収まるという前提で作られる制度なんて、とてもではないけど私は恐ろしくて信じられない。

とはいえ、そんなこんなで、勝や西郷のような人物は完全に駆逐されてしまった。
そして多分、私達みんなが、それを望んだのだと、本書を読んでそんなことを思わされました。
そこに2つの問が浮かんできます。
「それは悪いことなのだろうか?」
「悪いとすればどうすればいいのか?」
この2つの問は、しばらく頭の片隅で温めて置きたいと思います。

   

0 件のコメント:

コメントを投稿

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...