【鑑賞】フェルメール展@上野の森美術館

2月3日(日)のフェルメール展@上野の森美術館に行ってまいりました。
この日は最終日で、人混みもひとしおかという日でしたが、日時指定のチケットのためさして並ぶこともなく入れた。
この日のために、『西洋絵画の楽しみ方』を読み、満を持してフェルメールの絵と対面せんと乗り込んだ訳です。



まず一つ大きな勘違いをしていたのが、全展すべてフェルメールだと思っていたことです。
だから、中盤まで全部フェルメールの作だと思ってて、いろんな画風があるんだねぇーなんて思いなが見て回りました。
あるタイミングで「そりゃねえだろう」と気づくわけですが、一人で赤面してしまいます。
展示の大半は、フェルメールと同時代に活躍した作家たちで、フェルメールの作品はかの有名な『牛乳を注ぐ女』を含む、最後の10点。
特にフェルメールの展示スペースは人も多くて、絵がそんなに大きいものばかりではないため、正直よくわからなかったです。
偉大な作品を生で見た感動はもちろんあるのですが、それは頭で感じる感動であり、体感的なものはよくわからなかったというのが私の感想でした。
しかし、この作品群が絵画史上の奇跡とも評される作品である以上、私の目が節穴なのだと判断するしかありません。
多分、基礎知識が足りないのです。
すなわち教養不足(かつ感受性不足)なのでしょう。
次にフェルメールの作品を見たときに、もう少し【鑑賞】が出来るように、勉強しておきたいものです。

なお、私の感性では、以下の二人の作品が非常に心に残りました。

ヤン・デ・ブライの『ハーレルム聖ルカ組合の理事たち』
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ヤン・ファン・ベイレルトの『マタイの召命』
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なんというか、私は、写実的な絵が好きなのかなぁと思えます。
そういえば、先日行った「吉村芳生展」も大変感動したものでした。
美術手帖の該当ページ

今回の一番の驚きは、音声ガイドが石原さとみさんだったことです。
下世話な話ですが、相当お金をかけてるのではなかろうか?
上野の森美術館では、10月にゴッホ展も企画されているようなので、ぜひ行ってみたいと思います。
私は、自分では、あまり都会にこだわる人間ではないと思っていましたが、上野公園がある以上、東京からはそう離れて暮らせそうにないなぁと思わされるフェルメール展でした。
(二人のヤンのせいですが)

【読了】性のタブーのない日本(橋本治著、集英社新書)


読みました。
いやあ、面白かったです。
何でしょうね、この淡々とした展開。
独特のテンポの文体で、スイスイ進んでいきます。
他人事な感じがまたたまらないです。

見る=やる、という前提に立つというのは、目からウロコでした。
そんな前提を知ると知らないとではそれは鑑賞の深さが違うでしょう。
とんでもない設定ですね。

現代でも、コミケや同人誌、企画物などがあったりと、決して古事記の世界から私達の本質的な「生理」は変わっていないように思いました。
もしかしたらそれは過去の作品へのオマージュとして現代に生み出されているのかもしれませんね。
あるいは、私たちは、そういう性癖を持っているのかもしれません。
でもしょうがないですよね。
それは「生理的なものだから」しょうがないのです、という著者の言葉がよくわからないけど腑に落ちました。

「いろんなことがあったけど、まぁ人間ってそういうもんだよね」という達観した思想のようなものが、日本の歴史の中にはあったんだということを俯瞰できる(ような気がする)一冊でした。

ぜひ中学生くらいの子どもたちに読んでほしいと思います。
こういう淡々とした古典への入門書(?)が、自分の国の文化に興味を持つことにつながると思うからです。

【読了】春画の見かた(早川聞多著、平凡社)

春画の見かた (コロナ・ブックス)
春画の見かた (コロナ・ブックス)
平凡社
2008-08-25
ちょっとパラパラ見てみようかな、と思って開いたら、面白くてぶっ通しで読んでしまいました。
なるほど、春画がわ印と呼ばれていたのがわかりました。

それにしても日本のエロ文化はすごいですね。
大体今想像されるエロいイメージはすでに江戸時代には考えつくされている感じがしました。
逆に言うと、江戸時代と今の違いは、性的な規制のみであって、本質は変わらないのかなと思います。
多分それは、生理的なことだから仕方がない。というのが、『性のタブーのない日本』の言うところにつながる気がする。
背徳的なところが一切なく、自由奔放なまぐわいが描かれておりました。
不思議なことに、全然興奮しません。
裸のハマのほうが控えめなのによっぽどそそります。
ひょっとして、抑圧された西洋の人々のほうが、エロの発散と実用性に向かったんでしょうかね。
性のタブーのない日本 (集英社新書)
性のタブーのない日本 (集英社新書)
集英社
2015-11-17

【読了】歴史の「普通」ってなんですか?(パオロ・マッツァーリノ著、ベスト新書)

歴史の「普通」ってなんですか? (ベスト新書)
歴史の「普通」ってなんですか? (ベスト新書)
ベストセラーズ
この方の著作は本当に毎回面白い。
昔も今も、人はあまり変わらないというのがよくわかる。
とはいえ、いろんなことが少しずついい方向にはなってるように自分には思える。
ここで言われてるような「おじさん」(新しいものを個人的なノスタルジーを基に否定する人)にならないように心がけたいものです。
後、祭りの下りでは、自分の意見も大事だけど、人の意見や論拠も同じくらい大切にしなければ、簡単に独りよがりになってしまうのだなぁと感じました。

【読了?】西洋絵画の楽しみ方完全ガイド

西洋絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
西洋絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
池田書店
2007-03-28
週末にフェルメール展に駆け込むのに向けて、予習しようと読みました。
読了というよりは、通読のほうが正しいかもしれません。
めちゃくちゃ面白かったです。
画家同士のつながりや、画風の系譜がわかりやすく表現されているのがよかった。
これをもとに興味のある画家の他の作品を鑑賞したり、という楽しみ方ができるだろう。

通読して思うのは、絵画作品は、歴史そのものなのだということ。
芸術品であることもあるが、歴史の資料だとも捉えるならば、確かに貴重品として扱われなければならないのも納得。
また、面白いのは、その時代時代の雰囲気を表しているものが多いということ。
つまり絵画はその時代の文化を現代に残していると言えるんだろうなぁと思いました。
(文学とおんなじ機能ですね)

ちなみにこの完全ガイドシリーズには、他にもクラシックや日本絵画を題材にしたものもあるようなので、近いうちに読みたいなぁと思います。
日本絵画のガイドに、浮世絵もあるといいのだけど…(多分あると思いますが)

そして、今後も引き続き、びじゅチューン!をチェックしていきたいと思いました。
美術館巡りの旅行にも行きたいものです。
CD2枚付 クラシック音楽の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
CD2枚付 クラシック音楽の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
池田書店
日本絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
日本絵画の楽しみ方完全ガイド (池田書店の趣味完全ガイドシリーズ)
池田書店
2007-12-05

【読了】大鏡(全現代語訳)(保坂弘司、講談社)

大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)
大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)
講談社
読み終わりました。大変おもしろかった。

三島由紀夫がかつて大鏡を読んで古典にハマったと読んだのが2年前。
ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒 (講談社+α新書)
ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒 (講談社+α新書)
講談社
それを知ってから読みたいと思っていてついに読み終えました。
古典っておもしろいなぁと思いました。

全部が全部理解できたわけではないし、基礎知識も乏しいためわからない箇所も多かったですが、全体を通して、古典の楽しさを知ることができたように思います。
大鏡は、時代を切り取る一つの作品なので、これと関わる各種の古典を紐解き、いろいろなつながり、解釈の違いを読んでいきたいと思うようになりました。

ということで、今度からは古典文学全集に入りたいと思います。
1日30分ずつで、読み終わるのに何年かかるのか…
あとはそれを読みながら、くずし字も覚えつつ、浮世絵とかも鑑賞できるようになれるといいなぁ…

趣味ができました。本当に有難うございました、という気持ち。

新編日本古典文学全集 (1) 古事記
新編日本古典文学全集 (1) 古事記
小学館

【読了】大学の理念(カール・ヤスパース著、理想社)

大学の理念
大学の理念
理想社
一応通読したけど、難しい。
言葉遣いが厳かです。

なかなか理解できない箇所も多々ありましたが、わかるところを総合して見ると、先日読んだ『文系学部廃止の衝撃』に近い事が書いてありました。
大学とはなんぞやということから始まり、国家との関係にまで言及。
もう60年も前に書かれた本なのに、今日の大学を取り巻く環境について指摘しているのではと思えてしまう本です。

個人的に印象に残ってるのが、学生は大人だという箇所。
大人が学びに来ているのだから、育ててもらうのではなく、頑張っても頑張ってもついていけない学びにそれでもなんとかついていこうと自分をそういった環境における人こそ大学の理念に沿う人なんだ、というようなことが書かれていた。
本当にそのとおりだと思いました。

以下は、根拠のない戯言です。

大学は、真理を追及する場所であり、真理の追及においては教えてもらうものではなく、自分で学ぶことでしか新しいところにはたどり着けないものだと考えるためです。
だから、そもそも就職力(この〇〇力って言葉も品がないですが)なんてもので大学を測ること自体が大学を理解していないということだと思います。
大学が役に立つことしかやらないのなら、それはもう企業の代わりです。
そうではなくて、大学は企業もやらないし、大衆も求めてないけど、それでもその人たちに代わって研究をすることで回り回って実は企業にも人類にも貢献してしまうという、そういう機関だと思います。
そして、貢献はただの結果です。
研究した結果が貢献するか否かは、その研究に取り組む動機になるべきでない気さえします。
なぜなら真理の探求とは、答えのわからないことと格闘することだからです。
それは言ってみれば中に何が入ってるかわからないからくり箱を開けるような作業とも言えるかもしれません。
もちろん、社会に対して研究の意義を説明することは、公の性質を持つ団体の一員である以上、避けて通ることはできないでしょう。
しかし、その研究には、まだ答えが見えていません。
だから、意義なんてのは絵に描いた餅でしかないのです。
そして、答えが見えてないことに取り組むからこそ、社会がその訓練を受けた人として、学生を欲するのです。
つまり、言ってしまえば対象はなんだっていいというのが私の見解です。
各教授の先生がただ真理の探求への情熱を拠り所にして、常にその道の先頭にたち、その後を学生が追いかけてきて、先生は学生がさらに自分の先に行けるように指導する体制がが整うのであれば、間違いなくその大学は社会に対して還元をしてると言えるでしょう。
つまり、研究の充実により、学生も気づいたら育ってる、ということになるんじゃないでしょうかというのが私の考えです。
多くの人が、大学に研究の充実を求める事が、今の大学を救うことになるように思えてなりません、

以上戯言でした。

この本と似たタイトルの本として、オルテガの『大学の使命』という本があります。
まだ読んではないのですが、そちらはむしろ大衆を底上げしてこその大学だという立場を取る本のようです。
ぜひ近いうちに読んでみたいなぁと思います。
大学の使命
大学の使命
玉川大学出版部



辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...