【読了】崩壊するアメリカの公教育-日本への警句(鈴木大裕著、岩波書店)


アメリカが、とんでもないことになってる…絶句です。
そしてその流れが、日本にも到来しつつあることに警鐘を鳴らす本でした。
新自由主義という、「金」にフォーカスした価値観の下、社会全体が効率化と規格化を進め、その顕在化としてアメリカでは公教育の崩壊が起こっているようです。
難しい問題だと感じるのは、新自由主義は「それ、どうなの?意味あるの?」という質問を投げかけるのです。
教育や、抽象的な研究は、それについてわかりやすく表現することが困難であり、説明をしても素人には理解しきれない部分があったとしても、新自由主義は更に質問をします。「よくわかんないな。結局役に立つの?」
もちろん役に立つ、しかし教育がどう役に立つかなど、誰にわかろうか?そんな回答には目もくれず、矢継ぎに投げかけてくる質問はこうだろう。「それにお金回す意味あるの?」
そして最後にはこうなる。「こうした方がもっと役に立つし、稼げるよ」

新自由主義の怖いところは、生活の根本を形成するのに必要不可欠な「金」をベースに話をすすめるため、大変理詰めで議論を進めやすいところだと思います。
しかし、市場に任せては行けない領域というのがかならずあるものです。
というか市場は、市場価値だけでは測れないものがあることを無視するため、市場に任せると、市場の価値以上の価値には到達できないことになるのです。
だから先人はそれは公的な事業であるべきだとしてきた経緯が、新自由主義の流れの中で、どんどん効率化の錦旗の下で民営化されていく。
もちろんいい民営化もあるだろうけど、悪い民営化だってあるでしょう。
果たしてそれらを検証し、改善できているだろうか。
行政としてかける予算が減ったから成功、という判断になっていないだろうか。
そして、私達市民も、杯金至上主義に陥っていないだろうか。
教育の崩壊とそれに対して戦う人々の活動という現象から、社会に暮らす私達の、市民としての自覚が問われる一冊でした。
それはあたかも「みんなさ、民主主義って言葉、知ってる?」と投げかけているような心地がしました。

本書でも盛んに出てくる、「何を持って学力とするのか?」という問いは、子供を持つ私も当然考えなくてはならないだろうと思いました。
そして、公教育に何を求めるのか、素人なりに考え、プロの意見を尊重しながら、その上で親として何ができるのかを考え、行動しなくてはならないとも思います。
それが、ハンナ・アーレントの言うところの「大人の責任」を果たすことにつながるかもしれないですね。

それにしても、新自由主義ってそんなに影響力のあるものなんだなぁと関心しました。
別の本も読んでみたいと思います。


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