バカの壁(養老孟司、新潮新書)



バカの壁』(養老孟司、新潮新書)を読みました。

たしか高校生のときに読んで、なんでこの本がベストセラーになるのかわからないと思ったと記憶していましたが、この年で読み返すと染み渡ります。
「そうそう、本当にそうなんだよね!」というところばかり。
この我が意を得たりという感じは内田先生に通じるものがあります。

本書の趣旨は「常識を大切にしろ」「わかるということを軽んじるな」という2点に集約されると思いますが、この2点はまさに民主主義が成立するために市民に求められる要素にほかならないと思います。
この2つの要素がない人は、「頓珍漢な考えを持ち」「それこそ正しいと確信している」。
故に話にならない。
壊しようのない「壁」ができてしまうわけですね。
バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在していることすらわかっていなかったりする。(中略)今の一元論の根本には、「自分は変わらない」という根拠のない思い込みがある。(P194)

自分は100%正しい(相手が折れるべきだ=自分は意見を変えるつもりはない)と思っている人間とは、議論なんてできません。
議論とは相手を論破するためのものではなく、より良い答えを導くための"相談"に近いのですから。
ところがそこを理解せずに、自分は議論に「強い」などと豪語したりする人がいる。
普通に考えれば、おめでたくて凝り性の人だと思われるだろうけど、なんとなく今の社会はそういう人を持ち上げるきらいがある気がする。
「常識に縛られない鬼才」だとか、「毅然とした改革者」だとか。
養老先生はそういうのが「気持ち悪い」と思ったのではないかと私は思います。
(もし本当にそうだとすれば、私には養老先生の感覚が非常にわかります)

社会は共通了解の上に成り立ち、その構成員としての振る舞いが求められるということは、(格差の再生産が甚だしくなければ)当たり前でしょう。
自称人間嫌い中島義道先生さえもその前提で持論を展開している。
(非常識人のような人間嫌いが、常識を理解している事は1ミリもおかしくない。詐欺師が法律や人の心理を理解していてもおかしくないでしょう?)
「人間嫌い」のルール(中島義道、PHP新書)

問題は、どうしたら「壁を取り払うことができるのか」ということですが、著者の言うように「個人的に付き合っていくしかない」(P200)のかもしれません。
「ひょっとしたら、全く通じないかもしれないけど、付き合っていればいつか状況が変わるかもしれない」という希望を抱いて接し続けることのできる人が近くにいたとして、そのことのありがたさを感じられる様な人間を肯定するのも教育だと思わせられました。

ということで、やっぱり、先生にはいろんなタイプの人間がいたほうががいいと思います。
たまには「常識と外れた人」や「常識を外れた人」もいたほうがいい。
だけどこの辺の問題は、やっぱり程度の問題で、だからこそやっぱり難しい。

いずれにしてもいい本です。
読んでどう思うかはわからないけど、ぜひ子どもにも読んでほしい。
(そういえばこの本は実家の父の本から借りてきたのでした、父はどんな思いでこの本を読んでいたのやら?)
ということで、本棚入りです。

 

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