大学の未来地図』(五神真、ちくま新書)を読みました。
面白かったです。

大学の経営層にいる方々の本には、「大学はなっとらん」「こんなんじゃ世界と渡り合えない」「大学教員なんかに教育を任せちゃいかん」という世間の声を柔らかく受け入れて、さらりと「ほんとにそうですよね、でもうちの大学は違いますよ。ちなみに私は海外の●●大学で云々」という書き方をする本が多いように感じていますが、本書は違います。
非常に冷静に「東大」を見ているように感じます。
あるいは、「東大」というか、東大をトップとした日本の高等教育の構造の中での東大の役割を(いい意味で)冷めた目でもって整理されている印象を受けました。
「確かにいろんな考えがあることは知っています。ただ、東大はこういう考えで、こういうことをすすめているんですよ」という感じです。

面白かったのは、意外と東大も自由に使えるお金が少ないということです。
資産が多くても、収益性の大きい資産ではなく(山林などの不動産などが多い)、またほとんどの資金(大学なので予算という方が正しいですね)が用途の決まった資金(予算)であり、ゆえに大胆な投資などは構造的にできない仕組みになっているそう。
そして、そこに公的な助成の減額がのっかってくるのだから、一昔前の東大と今の東大とでは経営の難しさが桁違いなのではないだろうかと思えてきます。
現場はどこも喘いでいて、その中でリーダーシップをふるう必要があるのですから、なかなかストレスフルな仕事でしょう。


---以下、話は本から逸れます---

上記のような運営資金に窮している状況であれば、なるほど著者の書いているように、産学連携やベンチャービジネスへの投資に注力していこうというのもわかります。
どうにかしてお金を稼ごうと思うのは当然です。
しかし、この方針は、東大のような大学だからできることであって、小規模かつ文系の大学などはなかなか採用できないでしょう。
ということで、すべての大学ができる施策ではないし、著者もそんなつもりでは言っていないでしょう。

では、小さい大学が生き残るためには何をすればいいのだろか、と思えば、言い方は悪いですが、弱いもの同士で協力することが大事ではないでしょうか。
ノウハウの共有や専門職人材の共有など、できることは多いはずです。
そうした連携が進めば、管理職の共有なんてこともあるかもしれません。
そのためにも、今後多くの大学で経営がひっ迫すればするほど、法人の合併は増えていくはずです。
という風に見ていくと、いろんな方法を使うことでしばらく大学は総数を減らしつつも、生き延びていくと思われます。

しかし、だからと言って(同書でも再三話題にしている)若手の雇用の不安定さが減ることはないでしょう。
大学や入学定員が適正な数に落ち着くのと、人口の減少とがマッチすることはしばらくないでしょうし、日本の雇用形態では専任の教員を首にはできない。
(むしろポストがない今、専任教員は必至で今大学の今のポジションを守ることでしょう)
ということで、どうしてもまだポストについていない若手研究者は専任のポストにありつけないことになります。
それはつまり、大きなスケールでの研究ができない(目先の成果を上げるための研究に力を注がざるを得ない)ということを表します。
これは知識集約型の社会において、非常に大きな損害になるように思います。

じゃぁどうすればいいのか。
私個人の考えでは、公的な助成を増やしてほしいのですが、それが望めないのであれば、人件費を下げてしまう、すなわち給料を下げてしまう、というのがいちばんいい気がします。
その分、もっと研究者を雇って、指導・講義・会議・事務作業の手間を分散してあげれば、むしろ喜んで給料を下げたい先生もいるのではないでしょうか。
人件費を下げてしまえば、優秀な人材が海外に逃げてしまう?
果たして本当にそうでしょうか?
自分が安定して自分の関心のある研究を追求できる環境があるのに、わざわざ別の大変な環境に行ってお金を稼ぎたいと思う人がそれほど多いとは私には思いません。
(どこかの大学で、アンケートでも取ってないものかと思います)

もちろん生活に苦しむほどの安易な給与カットを推奨するつもりは毛ほどもないのですが、給与はそこそこでいいから、教育・研究に使える予算を増やしてほしいという研究者が多いのではないでしょうか。
少なくとも、そういう仕組みでもない限り、ポストは増えないのではないでしょうか。
ポストが増えなければ、若手研究者はそもそも志望する人が減っていくでしょう。
高度な知識を持つ人材を有機的につないで社会的な価値を生み出していく、行かねばならない「知識集約型の社会」というものが到来するのであれば、みんなで少しずつ詰めて席を確保していくしかないのではないかなと思うのですが、いかがでしょうか。
(税金をもっと大胆に教育に投入してくれるなら、もうちょっと違う道もあるのかもしれませんが…)

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決めつけたように書きましたが、多分道はほかにもあるのでしょう。
すぐに答えのでるものでもないかと思いますので、今後時間をかけて、もう少し落ちついて考えてみたいと思います。

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