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【読了】図書館で調べる(高田高史著、ちくまプリマー新書)

『図書館で調べる』(高田高史著、ちくまプリマー新書)を読みました。



図書館の存在意義を探りながら、その中で司書として働く著者が「どうやって図書館で情報を探すか」について解説していく本でした。
2時間ほどで読める優しい本でしたが、目からうろこが落ちた気持ちです。
特に分類から情報を探そうという発想は、知るだけで役に立つ知識だと思います。
ワード検索だけでは、なかなか情報にたどり着くことが難しいという前提を知らないと、なかなか飲み込めないかもしれませんが、「情報」が「肉まんの中のたけのこ」を探すような作業だと捉えると、ちょっとわかるかもしれないと思いました。

簡単に説明をすると、「たけのこ」でヒットする本を調べると、「たけのこの育て方」「美味しいたけのこレシピ集」などの本がヒットするでしょう。
「肉まんのあんの作り方集」「肉まん文化史」と言う本仮にあったとしても、「たけのこ」というワードではヒットしないわけです。
ではどう調べるか?
まずは「料理」、「中華」という少し包括的な情報を扱った書籍を調べるのです。
この包括的な情報というのが「分類」に当たるということです。
書架にはこの分類でまとめられて本が並べられるので、そのへんの本をめくっていけば、欲しい情報の周辺情報などが得られて、芋づる式に情報に近づいていくことができます。
要するに、いきなり中心に行くんじゃなくて、まずは周りから見ていったほうが、結局は早いし、自分のレベルにあった情報に行き着く可能性が高いですよ、ということですね。

また、情報量が必ずしも調べやすさに比例するものではなく、したがって大きい図書館だからいいということではないという指摘もありました。
むしろ小さい本だからこそ、限られた書籍の中から様々な本に横断して調べる力がつくのだとか。
また、どうしても深い知識を必要とする場合には、取り寄せることなどもできると紹介されています。
どうしても行き詰ったときには、図書館の重要なサービスの一つとして「司書によるリファレンス(相談)」がありますので、それをどんどん有効に使いましょうとのことでした。

今後図書館で調べ物をするときに、非常に役に立つ知識・考え方が整理された素敵な本だと思いました。

ーーー
この本を読んで思ったのは、「先日疑問に思った”屏風”のこともそうやって調べればよかったのかもしれない」ということです。
何もいきなり『屏風と日本人』(しかも600ページ)という対策に挑むのではなく、美術史(屏風の位置づけ)、屏風の代表作品、屏風と歴史、みたいな形で段階的、横断的に調べていったのなら、もう少し短時間で消化不良を起こすことなく調べることができたのかもしれません。
(とはいえ、通読したからこそ感じることもあるわけで、一概にどっちが良かったとはいえないのでしょう)
【読了】屏風と日本人(榊原悟著、敬文社)

今私が気にしていることは「大学はなぜ生まれたのか」「そして今大学はどういう存在であるべきなのか」ということです。
これまで『大学の理念』(ヤスパース)、『文系学部廃止の衝撃』(吉見俊哉)などを読みましたが、いずれも少し難しかった…。
もう少し柔らかく調べて行きたいと思っていたところなので、少しずつやっていきたいと思います。
できれば本書に出てくる栞さんのように、理解の流れなどをちゃんとメモとして残して自分の中に積み上げられると望ましいですね。
とはいえ、仕事でも勉強でもなんでもないので、楽しくやることを第一にして取り組めたらいいなぁと思います。

テレビってちょっとやばくない?

GWなので、実家に帰ってきております。
帰省をしてギャップを感じることは、それはそれはたくさんあるわけですが、その中でも「テレビがついてる」というのは大きなギャップの一つです。

我が家では主に録画した番組しか観ないので、思いがけず面白い番組出会うということはありませんが、実家でテレビをなんとなく観ていても、別段面白い番組はやっていないように思います。
それよりも、「こんなんでいいのか?」というような内容の放送が多い気がします。

というのも、たまたま放送されていた池上彰さんの番組で、最近ニュースに関係する問題を20字で説明してくださいという企画があったのです。
この企画、結構やばい。
やばいというのは、「考える力を奪う」可能性が高いという意味です。

例えば「なぜ消費税を上げる必要があるのか?」という問いが出て、模範解答として「高齢化社会に伴い社会保障費が不足するから」というようなものが挙げられていました。
このどこがおかしいかといえば、「そもそも消費税を上げる必要があるのか?」という問いがすっぽ抜けているという点や、「消費税を上げる以外の方法はないのか?」という問いがないわけです。

尺やスポンサーの意向などもあるのかもしれませんが、ともすれば「へぇ」と思いかねない展開とキャスティングで、しかも論理的な説明も大してされないから、疑問を挟む余地があまりない。
いわゆる識者と思われている方が一方的で一義的な解説をします。

多分この番組を観た人が、私みたいな奴から「なんで消費税上げなきゃいけない前提なの?社会保障費が足りないのに社会保障の制度を変えないつもりなの?消費税上げて困るのは貧乏人だよね?それになんでデフレなのに消費税を上げるわけ?」みたいなことを問われると多分「あーあまたなんか言ってるぜあいつ。ちょっとやべーから無視しよう」みたいな対応を取ることでしょう。
上の消費税の話のように「これはこうですよ」とだけ説明されてしまうと、自分でこれがこうなんだなと論理が追えないから、それが常識として捉えてしまうおそれがあるのです。
そうなると、別の意見を聞こうとしないし、聞いても聞く耳を持たない。
それが非常に危ういと感じます。

テレビ番組がこんな番組ばかりなのかどうかは知りませんが、もしそうなのだとすれば若者のテレビ離れなんて大いに歓迎すべき事態だと言わざるを得ません。
制作サイドもわかりやすさを重視しているのでしょうけど、ここまで行くとテレビはバカ製造機だと思えてしまいます。

ちなみに、「これはこうですよ」という説明に疑問を持ち、それを問い詰めていくのが「大学の学び」です。
こうしたテレビが放送されているということは、まだまだ、大学の学びが世の中に浸透していないように感じます。

子どもたちに美術鑑賞の楽しみを

理系以外に大学で勉強する必要がどこあるのか?というのは、私が大学へ進学するにあたって考えていたことです。
大学を卒業して10年近く経ちますが、まぁなんと見識の狭いことかと恥ずかしくなります。
いろいろな本を読んでみれば、理系でなくても大学に行く意義は非常に大きいことに気づきます。
特に、美術の世界を覗いてみると、大学教授の先生方や美術史家の先生の功績は非常に大きいと思います。

どう貢献しているかといえば、作品の凄さに何らかの影響を与えている、という意味ではなく、庶民が美術を楽しむのに非常に役立つ知見を数多く提供している点が挙げられます。

素晴らしい作品は、たいてい何か別の素晴らしい作品(作風)に立脚しているものです。
あるいは、そういう流れからではなく、彗星の如く飛来した天才もいるでしょう。
いずれにしても、歴史という基準を知らずしては、美術の面白さは半分近かく失われるはずです。
どんな作品を師としたのか、そしてそれをどう越えたか、どんな時代背景で書かれたか、何を意図しているのか、こういった問について、専門の教授や美術史家たちが時間をかけて推察した仮説や結論は、様々な要素と絡み合って私たちに迫ってきます。
大いなる伏線回収を美術史家の皆さんはされているのだと言えましょう。
このことに気づいたとき、私は美術鑑賞の楽しさに目覚めました。

私個人は、そもそも絵心というものが欠落しており、小中高と美術の授業がからっきしだめでした。
大概、技術を持ち合わせない実技の授業は辛いものです。
音痴の音楽、足の遅い体育、不器用な家庭科、いずれも苦痛でしょう。
私にとっては、美術はそれらと同列のものでした。
すなわち、絵心なき美術ですね。

しかし、自分の能のなさを棚において振り返るならば、どうして美術が実技に重きをおいていたのか、それが気になります。
(この思いの半分は、絵心ない者の僻みです)
もっと鑑賞に力を入れても良かったのではないか。
実技としての美術は、興味のある子が放課後に習えばいいのではないか。
そんなことを思います。

芸術は、その存在にすでに価値があります。
芸術との向き合い方は、自由だと思いますが、ある作品と向き合って自分が下した価値と世間が下している価値のギャップを見つめるという授業も、なかなかおもしろいのではないでしょうか?
こうした「自分はどう面白いと思ったのか」を掘り下げる練習をしておくと、芸術鑑賞のハードルを下げることにつながると思います。
また、鑑賞に上手い下手はなく、自分が面白いと思えるかどうかが重要である、という気づきは、日常生活においても自身を助ける気づきだと思われます。
面白いと思えない理由も含めて考えることができるとしたら、多分もう大学入学資格は与えてもいいのではないかとさえ思えます。

「美術鑑賞なんて教えて何の意味があるのか?」と問われれば、「様々なきっかけを与えることができるのではないか?」と答えたいです。
芸術に興味を持てば、歴史に興味を持つようになります。
また、言語や文化にも関心を持つことでしょう。
題材に目が向くならば、自然科学に興味を持つ子も出てくるかもしれません。
これが役に立つかどうかはまた別のお話ですが、少なくとも少しだけ人生に幅ができるはずです。

初等教育においてはひとまず絵を描くという身体的な授業があることは構いません。
友だちと楽しく、のびのび書けばいいのです。
しかし、中等教育以降においては、ぜひとも鑑賞にも、もう少しウェイトを置いていただければ、子どもたちの将来が、より豊かになるのではないかと、そんな期待をしています。
(とはいえ、私が中高生だったのは、もう20年近く前なので、今はもう授業も変わっているかもしれません)

【読了】崩壊するアメリカの公教育-日本への警句(鈴木大裕著、岩波書店)


アメリカが、とんでもないことになってる…絶句です。
そしてその流れが、日本にも到来しつつあることに警鐘を鳴らす本でした。
新自由主義という、「金」にフォーカスした価値観の下、社会全体が効率化と規格化を進め、その顕在化としてアメリカでは公教育の崩壊が起こっているようです。
難しい問題だと感じるのは、新自由主義は「それ、どうなの?意味あるの?」という質問を投げかけるのです。
教育や、抽象的な研究は、それについてわかりやすく表現することが困難であり、説明をしても素人には理解しきれない部分があったとしても、新自由主義は更に質問をします。「よくわかんないな。結局役に立つの?」
もちろん役に立つ、しかし教育がどう役に立つかなど、誰にわかろうか?そんな回答には目もくれず、矢継ぎに投げかけてくる質問はこうだろう。「それにお金回す意味あるの?」
そして最後にはこうなる。「こうした方がもっと役に立つし、稼げるよ」

新自由主義の怖いところは、生活の根本を形成するのに必要不可欠な「金」をベースに話をすすめるため、大変理詰めで議論を進めやすいところだと思います。
しかし、市場に任せては行けない領域というのがかならずあるものです。
というか市場は、市場価値だけでは測れないものがあることを無視するため、市場に任せると、市場の価値以上の価値には到達できないことになるのです。
だから先人はそれは公的な事業であるべきだとしてきた経緯が、新自由主義の流れの中で、どんどん効率化の錦旗の下で民営化されていく。
もちろんいい民営化もあるだろうけど、悪い民営化だってあるでしょう。
果たしてそれらを検証し、改善できているだろうか。
行政としてかける予算が減ったから成功、という判断になっていないだろうか。
そして、私達市民も、杯金至上主義に陥っていないだろうか。
教育の崩壊とそれに対して戦う人々の活動という現象から、社会に暮らす私達の、市民としての自覚が問われる一冊でした。
それはあたかも「みんなさ、民主主義って言葉、知ってる?」と投げかけているような心地がしました。

本書でも盛んに出てくる、「何を持って学力とするのか?」という問いは、子供を持つ私も当然考えなくてはならないだろうと思いました。
そして、公教育に何を求めるのか、素人なりに考え、プロの意見を尊重しながら、その上で親として何ができるのかを考え、行動しなくてはならないとも思います。
それが、ハンナ・アーレントの言うところの「大人の責任」を果たすことにつながるかもしれないですね。

それにしても、新自由主義ってそんなに影響力のあるものなんだなぁと関心しました。
別の本も読んでみたいと思います。


【読了】大学の理念(カール・ヤスパース著、理想社)

大学の理念
大学の理念
理想社
一応通読したけど、難しい。
言葉遣いが厳かです。

なかなか理解できない箇所も多々ありましたが、わかるところを総合して見ると、先日読んだ『文系学部廃止の衝撃』に近い事が書いてありました。
大学とはなんぞやということから始まり、国家との関係にまで言及。
もう60年も前に書かれた本なのに、今日の大学を取り巻く環境について指摘しているのではと思えてしまう本です。

個人的に印象に残ってるのが、学生は大人だという箇所。
大人が学びに来ているのだから、育ててもらうのではなく、頑張っても頑張ってもついていけない学びにそれでもなんとかついていこうと自分をそういった環境における人こそ大学の理念に沿う人なんだ、というようなことが書かれていた。
本当にそのとおりだと思いました。

以下は、根拠のない戯言です。

大学は、真理を追及する場所であり、真理の追及においては教えてもらうものではなく、自分で学ぶことでしか新しいところにはたどり着けないものだと考えるためです。
だから、そもそも就職力(この〇〇力って言葉も品がないですが)なんてもので大学を測ること自体が大学を理解していないということだと思います。
大学が役に立つことしかやらないのなら、それはもう企業の代わりです。
そうではなくて、大学は企業もやらないし、大衆も求めてないけど、それでもその人たちに代わって研究をすることで回り回って実は企業にも人類にも貢献してしまうという、そういう機関だと思います。
そして、貢献はただの結果です。
研究した結果が貢献するか否かは、その研究に取り組む動機になるべきでない気さえします。
なぜなら真理の探求とは、答えのわからないことと格闘することだからです。
それは言ってみれば中に何が入ってるかわからないからくり箱を開けるような作業とも言えるかもしれません。
もちろん、社会に対して研究の意義を説明することは、公の性質を持つ団体の一員である以上、避けて通ることはできないでしょう。
しかし、その研究には、まだ答えが見えていません。
だから、意義なんてのは絵に描いた餅でしかないのです。
そして、答えが見えてないことに取り組むからこそ、社会がその訓練を受けた人として、学生を欲するのです。
つまり、言ってしまえば対象はなんだっていいというのが私の見解です。
各教授の先生がただ真理の探求への情熱を拠り所にして、常にその道の先頭にたち、その後を学生が追いかけてきて、先生は学生がさらに自分の先に行けるように指導する体制がが整うのであれば、間違いなくその大学は社会に対して還元をしてると言えるでしょう。
つまり、研究の充実により、学生も気づいたら育ってる、ということになるんじゃないでしょうかというのが私の考えです。
多くの人が、大学に研究の充実を求める事が、今の大学を救うことになるように思えてなりません、

以上戯言でした。

この本と似たタイトルの本として、オルテガの『大学の使命』という本があります。
まだ読んではないのですが、そちらはむしろ大衆を底上げしてこその大学だという立場を取る本のようです。
ぜひ近いうちに読んでみたいなぁと思います。
大学の使命
大学の使命
玉川大学出版部



【読了】文系学部廃止の衝撃(吉見俊哉著、集英社新書)

「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書)
「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書)
集英社
2016-02-17
前々から読みたいと思っていた本ですが、やっと読めました。
話は全然文系学部のことだけでなく、大学それ自体や大学を取り巻く人や社会についても論じている作品でした。
目白押しです。
今の大学に関する各種議論の基礎知識も得られるため、大学人なら間違いなく読むべき一冊。

世の中全体が短絡的な視点になってるのが一つの問題のように思います。
でもそれは、人口が減り、景気は良くならない社会では仕方のない事なのかもしれない。割を食うのは、多分何年も先の人だ。
それにいちいち説明をしなくちゃならない社会になったというのも大学が劣化し始めた要因ではないだろうか?
それ役に立つの?という問いに、50年か100年後に役に立ってるかもね、と答えて普通にコミュニケーションが取れるわけないものね。
でも大学はそういうところなわけで、その認識がもともと日本には希薄だったんですかね。
そういえば『東京に暮らす』を書いたキャサリン・サンソムも、著書の中で日本人は役に立つものばかりに飛びつくと述べていたなぁ。
昔っからの傾向なんでしょうかね?
東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)
東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)
岩波書店

【読了】アクティブラーニング(小鉢誠著、講談社新書)

アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)
アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)
講談社

これもいい本。
いかに私たちが過去を振り返らないがゆえに行ったり来たりしているか、ということを突きつけてくる。
主体性を育む、ということが、他者からの投げかけで「全員」に役立つなんてことがもしあるなら、人類の長い歴史の中で、なぜそれが実現できなかったのかを考えることが大切だ。
結局、素質なのではなかろうか、という悲しいところに着地させたくなってしまう。
でも、それもまたわからないのだ。
教育の難しいところは、取組と結果の関連がわからないことなのかもしれない。

【読了】ザ・ウェーブ(モートン・ルー著、新樹社)

ザ・ウェーブ
ザ・ウェーブ
新樹社


読みました。
ザ・ウェーブ(モートン・ルー著)という本で、ある学校の理科の授業でナチスの取り入れた規律をもとに共同体を意識させる、という実験が行われ、それに伴いどんなことが起きたかを小説にした作品。
表紙がアニメ絵なので、軽い感じで読み始めると、あら大変。
人間は簡単に善悪の判断とか個人そのものを失えてしまうんだなと言うことを突きつけられます。

空気を読めという言葉がありますが、読みすぎるのも考えもんですね。
民主主義は多数派の意見を採用する社会ですが、こうした作品を読んで【集団や大衆の性質】について思いを巡らせるたびに、民主主義って危険だなぁと思わずにはいられません。
議会制民主主義なんていう下りエスカレーターで登る的な制度は、もしかしたら民衆や権力の濫用を抑えるための措置なのかもしれませんね。
だとすると、参議院もあながち反対できないなぁ、なんてことを考えさせられました。

形は違えど、いろんな形でマインドコントロールをされているかもしれないと疑心暗鬼になる劇薬的な本でした。
アルコールよりも効き目が強く、翌日への残りも心配です。

こっちの映画も見たいけど、近所のツタヤでは貸出してない…
THE WAVE ウェイヴ [DVD]
THE WAVE ウェイヴ [DVD]
アットエンタテインメント
2010-04-28
DVD

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...