不幸におさらば!脱広告のススメ

「幸せになりたい」とは多くの人が思うことだと思います。

かくいう私も、もちろん幸せになりたい。

各宗教や哲学をはじめ多くの本には、幸せとは、本人が感じるかどうかであり、何かをすれば得られるというものではない、というようなことが書かれています。

とはいえ、それがわかっていても、どうすりゃいいのかわかりません。

というわけで、逆に「不幸」について考えてみましょう。

我々が不幸だと感じるのであれば、そこはどこから来るのかということを考えてみると、「不幸とは、相対的なもの」と思えてきます。

つまり、「不幸とは比較によって生じる」ということです。


比べるから不幸になる

例えば、普段の暮らしを考えてみます。

朝は布団の中で起き、カーテンを開ければ日が入り、朝食にはパンかごはんかが選べて、電車で出社し、エアコンのあるオフィスで仕事をし、帰ってきてベットで寝れる。

当たり前ですが、江戸時代から見ればこんな豊かな暮らしは想像できないと思います。

現代でも、例えば途上国などから見れば恐ろしいほどに快適な暮らしでしょう。

なのに私たちはこんな暮らしを当たり前と思って、ほかの足りないところに目を向けて「不幸」を感じているのです。

なぜでしょうか。

私には「不幸が金になる」からだと思えて仕方ありません。


広告から離れよう

皆が幸せだと、物が売れません。

だってもう満ち足りているんだから、新たに買う必要などありませんから。

それだと困るから、多くの企業は広告を打ちます。

「これがあれば快適な暮らしができます」

「これを買えば素敵な人生になります」

「これを手に入れるとみんなから一目おかれます」

というようなささやきをテレビから、看板から、ネットから送ってくるわけです。

そうすることで持つものと持たざるものの間に分断を生み、持たざる者が買いたいと思うように誘導していきます。

その結果、別に持っていなくてもいいようなものまで持たないと「不安」になる。

「不安」を解消するために、また買う。

でも買うとすぐに次の製品が出る。

次の製品が出るとまた同じように持たないと「不安」になる…という繰り返しです。

この「不安」が「不幸」とは言えないでしょうか。

この連鎖から抜け出すためには、広告から離れることが必要だと思います。


でもどうやって離れるの?

さぁ、どうやって広告から離れましょうか。

これはとても難しい問題です。

現代の日本社会において会社員として働いている以上、完全に広告から離れて生きることはほぼ不可能でしょう。

でも、意図的に広告と距離を取ることは可能です。

例えば、以下の方法は試してみる価値があると思います。

  • ネットと距離を取る
  • 電車の中では本を読んだり、日記を書いたりする
  • テレビを見ない
  • 出かけない
  • ラジオではなく音楽を流す
  • 家事を楽しむ
  • 自然の中で過ごす
などなど、行動としてはいろいろな選択肢がありますが、いずれにしてもまずは「広告を見ると不幸になる、かもしれない」という仮説を自分の中で温めてあげることがスタートになります。

この仮説を持っていることで、多くの情報が無駄なものであり、自分に「不足感」をもたらすものであることに気づける、かもしれません。

でも、ひょっとしたら気づいても、何も変えられないかもしれません。

悔しいですが、それでいいと思います。

広告とは、相手は人間の心理を研究して、注意を引き付け、我々の関心を惹くことに多くの投資をして作られているのですから、我々一庶民がそんなに簡単には逃れられるものではありません。

一進一退を恐れないことが大切です。

そして、時々負けても、一生をかけて取り組む価値のあることだと思います。

少なくとも、不幸から遠ざかれるのですから。


---


やはり私も、時々不足感に苛まれます。

大抵それはYoutubeを見た後だったり、漫画を読んだ後だったり、誰かとのおしゃべりの後だったりしますが、不足感のすべてが悪いわけでもないとも思っています。

結局のところ、バランスが大切で、そういう意味でも中庸に戻るために時々「自分は今どんな情報を食べているのだろうか。過不足ないだろうか?」と疑うことは生きる知恵だと考えます。

幸せになるために、その情報が不幸を招くものではないか?と、時々立ち止まって考えられるようになりたいものです。


モモ (Mエンデ、岩波少年文庫)





0 件のコメント:

コメントを投稿

辞令交付式への違和感(みんなよく参加するなぁ)

 今日は4月1日。  我社では辞令交付式が行われました。  そのため、土曜日ですが、人事課員として出勤しました。  明日も仕事なので、12連勤となります。   人事課の闇ですね。  それはさておき、辞令交付式に関して、毎年違和感を持ちます。  それは、お礼を言われる側が、何故かホ...